わたしの仕事は文章を書くことだ。飯を食うための仕事はWebのライターや編集業。
このようなエッセイは、ライフワークとして書いている。
前者は自分の勉強のためや、お金をもらうためにやっている。こちらは自分の伝えたいことではなく、取引先の要望に応えることがメイン。
自分の主観をできる限り消して、中立的に情報をまとめたり、そのためのアウトラインを作成する。
しかしわたしが本当に楽しんでいるのは、後者のエッセイを書くこと。お金にならなくても、あまり読まれなくても、細々と書いてきた。
ときには電子書籍出版社から出版の声掛けがあったり、読んでくださった方から応援のコメントをもらったりと何らかの成果が見られた。最近では、ちょっとしたコンテストに応募して、生まれて初めて賞をもらうこともできた。
わたしにとって「書くこと」とは何か。
これは以前から常に考えていたこと。以前は「わたしは自分のことや、頭の中の考えを話すことが苦手だから、気持ちや出来事を整理するために書いている」と思っていた。
これも、間違いではない。今でもそれはその通りと思っている。
しかし、もっと奥深い視点では「書くこととは、体験することだ」と気づいた。
最初に書いた「心の体験」
わたしが最初に、自分の心の「深い体験」を書いたのは4年前。母に発達障害の特性が見られることを書いた記事だった。
わたしは幼いころから母の発言や行動を理解することができず、母を憎んでいた。「一生心を開くものか」と思っていたのだ。
4年前、大人の発達障害が注目されはじめた当初、わたしはインターネット上でADHD(注意欠如多動症)の特徴を目にした。そこに書かれているのは、まさしく母のことだった。
母の理解できない発言や行動の原因が、発達障害にあったとしたら。わたしたち親子の確執の中に、発達障害という先天的な要素が含まれているのだとしたら。
そう考えたらわたしは「わたしは一体、何を憎んでいるのか」と、バカバカしい気持ちになると同時に、母に同情するような気持ちさえ湧いた。
そのことを、思い切って記事に書き、自分のペンネームで公開した。あの記事を書いたときは手や肩の震えが止まらなかった。嗚咽をもらしながら書き上げ、公開したあともなかなか眠ることができなかった。
自分の体験を語ることに慣れていく
次第にわたしは自分の体験を語ることに慣れていった。自分だけが見ることのできる日記に書くのと、他人が目にする場所に公開するのとでは意味合いが大きく違う、ということは感じていた。
書くことでたくさんの恩恵を得られたが、そのぶん自分の体験を語ることの弊害も感じていた。
賞賛や人の反応を得るために、自分の大事な体験を「利用」してしまうような感覚、人とのエピソードを勝手に書いて公開することへの強い抵抗、そして、読む人の心を傷つけることもあると知った。
しかし、心を打つエッセイは、体験からしか書けない。体験してもいないこと、心から感じてもいないことを書いても所詮机上の空論だ。どこかでいろんな人が使った、手垢まみれの言葉しか生まれてこない。
もちろん、わたしもそういう文章を書いた経験だってある。
ただ、多くの反響をもらえるのはいつも「自分にとっての強烈な体験」を書いたものだった。「強烈な」とは、決して悪い体験というわけではなく「心を強く動かされるような体験」のことだ。
点と点が線で繋がる
このブログは、自分の根っこにある特性(発達障害)を軸にして制作している。わたしが初めて心の体験を書いたとき、まさか自分が母と同じ発達障害をもっているなどとは考えもしなかった。
でも、あのとき母の発達障害傾向に気づいて強く心を動かされなければ、今のわたしはないだろう。自分を受容することも、自分を深く理解することもない。
きっと今とは全く別の形をして生きていたかもしれない。
この4年間、発達障害の記事を書いたことなどすっかり忘れていることだってあった。
それでも、気が付くと点と点が結びついて線になっていたのだ。
しっかり書き留めて、深く刻んでおいたからこそ「自分とは何か」や「個性とはなにか」に決着がついた。長かった自分探しをやめて、次のテーマに移れる気がしている。
強烈な体験には意味がある
強烈な体験は、必ず自分にとって大きな意味がある。同じ体験をしても、人によって感じ方が違ったり、自分が今の自分でなければそれほど強烈に感じない可能性もある。
だからこそ「今、この瞬間」の心の動きを書き残しておく。
不思議なことに、その強烈な振動は文字を通して相手に伝わることがあるようだった。
そして、その文章に心を動かされる人も、わたしと同じような人生のステージにいたり、同じような課題に直面していたりする。
文章を書いて公開する人は、もしかすると自ら名乗り出た「サンプル」や「実験台」なのかもしれない。
よく「代弁者」という言葉が使われるが、わたしはこの言葉にしっくり来ていない。わたしは「弁じている」のではなく「体験発表」をしているだけだ。
でも、体験発表をするのもそれはそれは身を削られる思いなわけだし(わたしはもう慣れてしまっているが)、文章の基礎から、伝えるためのテクニックも多少は必要。
わたしはこの「体験発表」のために、ライターや編集といったライスワークに取り組んでいたのかもしれない。
「書く」こと、そしてそれに関わる仕事はすべて、自分の体験を人に伝えるためにある。
読む人はきっと、書き手の体験を疑似的に体験し、自分と重ねたり、比較したり、思考のヒント、着想を得たりするのだろう。
書くことには、自分で想像する以上の強いパワーがあると信じたい。
なりたい自分になるために、乗り越えること
なりたい自分になるためには、乗り越えなければならないことがある。
「体験」によって「書くこと」が広がっていくということ。新しいことを体験すれば、そのぶん書けることが増える。体験が増えることで、文章が生まれる。作家やエッセイストとしてもっと前進するなら、新しい体験を積んでいくしかないのだと思う。
なりたい自分になるには、やっぱり、自分の苦手なことにも挑戦せねばならない。
新しい体験への突入、興味の幅を超えること、環境の変化をおそれないこと。わたしにとって必要なのは、この同一保持との闘いだ。
一つひとつ、体験していくこと。人より遅くてもよいから、体験の数を増やしていくこと。そして、自分の特性を、チャレンジをやめるための言い訳にしないこと。
わたしは発達障害の診断を受けたときに心に誓った。「この社会的な診断名は、自己理解と受容のために使う。決して『できない言い訳』に使わない」ということ。
「書くために生きる。生きるために書く」という決意、そして新しい体験への挑戦を恐れないことを、ここに記しておこうと思う。