先日、わたしが参加しているボランティアコミュニティの知人がガン宣告を受けた。毎週顔を合わせている人。50代後半か60代前半だろうか。
そう、実際の年齢も知らないような間柄。
でも、毎週合って、軽く一言二言挨拶したり、会話したりする。
その人が、膵臓がんの宣告を受けて、しばらく会えないことになった。
彼女と会うのは、毎週1回の活動のときだけ。
そのコミュニティには、グループLINEがある。毎週の連絡事項だったり、担当だったりを連絡するところ。そこでは、この事実を受けていろんな人が、彼女に励ましのメッセージを送った。
わたしはそこで「頑張ってください」の一言しか、送れなかった。
しかし他の大多数の人は、各々自分の気持ちを言葉にして彼女に送っていた。
「無理しないでね!」
「負けないで!」
「待ってるよ!」
「きっと大丈夫!」
「まだまだやり残したことがたくさんあるじゃない!」とか、言ってる人もいた。みんな希望を持たせるような言葉をかけていた。
わたしは、何も言えない。
膵臓がんについて調べればわかると思うが、発見されたときにはかなり深刻な状態である病気。わたしはまたまこの病気をよく調べる機会があったので、彼女の症状などからかなり進行していることがわかった。端的に言えば死が近い可能性が、極めて高いということ。もちろん、彼女のこの先は誰にも分らないが、事実としてはそうなのだ。
みんなが思っていることは、わたしも思うことではあるんだ。待ってるし、無理しないでほしいし、負けないでほしいし。元気になって帰ってきて欲しい。
やり残していることがあるのも、わかる。ただ、確かに命の危険と隣り合わせだが「やり残したこと」みたいなことを言ったら、逆にそこにいる全員に示唆するじゃないか、とか思った。
皆、そこで「自分は、みんなと違うことを言う担当分担」みたいになっていた気がする。
そもそも、その報告を受けて誰も何も言わないなんてことは、あり得ない。明るくムードメーカーだった彼女は「今は病名なんて調べればいくらでも情報が入ってくるから、みんなに言うことにしてるんだ」と言った。
つまりどのくらい悪いのか、わかるように病名を言ったわけだと思う。
何を言えばいいのか、本当にわからなかった。
でも「頑張ってください」という、ただ一言を聞いて、彼女はどう思っただろうか。
希薄だと思っただろうか。心配する気持ちは微塵もないと、感じただろうか。とってつけただけの言葉に聞こえただろうか。
いや、その「自分が何を言うかの担当分担」のなかで、わたしは「頑張って」を選んだのだろうか。それももはや、わからない。
でもわたし的に、しいていうなら「頑張って」としか言えなかった。
でも、最近では「頑張って」という言葉はよく受け取られないこともある。それでも、わたしのなかから絞り出したのは「姐さん、頑張って」だったんだよなぁ。
いつも、自分の気持ちにぴったりの言葉が見つからない
前々から、自分の気持ちにぴったり合う言葉が見つからないと思っていた。
あまりいろいろ発言できないのは、何かを聞いてすぐに自分の気持ちが表現できないからだと思う。
でも「やったーーー!」とか「わーーーい!」とか、言えるときもあるんだけど、それはポジティブな話題とか、限られた相手、密に関係性を築けている場合かもしれない。
でも、気の利いたことを言える場面もある。
たとえば、仕事で人が退職するときとか、お礼を言うときとか、ご近所さんと話すときとか。
そういう距離感が遠い人とか、本音と建前のはっきりしている関係。
「嘘でもいいとき」ってあると思うんだよね。
嘘だろうが本音だろうが、その場を円滑にするために、お決まりのパターンで返せばいいときってあると思う。そういうシーンでは、割と返せるようになってきているんだ。
こういうときは、こう返す。こういうときは、こんな感じで振舞う、というパターン。
でも、それと同時に、本当の気持ちを伝えるべき時もある。
そういうときに、やっぱり何を言えばいいかわからないんだよね。
素直に、心配していますって言えばいいのかな。でも、心配な状況のときこそ、なんだか相手からは「心配しないで」というメッセージを感じるときもある。心細さとか、不安に寄り添おうとするも、突っぱねられることだってある。
現に、ガン宣告を受けた彼女の場合「がんばってますよ~!心配しないで、わたしのことでみんな暗くならないで!」と言う。木更津キャッツアイのぶっさんを思い出すなぁ。
自分のせいで、みんなが心配したり暗くなったりすることを嫌う人だ。
でも、わたしは心配しているし、毎日心配している人のことを思い出す。
心配って、どうやって表現すればいいんだろう。
わたしは彼女がカマキリの卵を大事に観察しているのを知ってたから、あとで「カマキリがいた」っていうLINEを送ってみたりした。
それにも「お~!でっかいね~!元気もらったよ!」って、あっけらかんと返してきて。
彼女が今どんな状況なのか。
きっとしんどいんだろうけど、しんどさを見せないようにしているから、今にも倒れそうな感じでも「お~!」とか言うのかなとか、思ってしまう。
でも、それは、自分がそうだからで、実際は本当にそれで「お~!」と思っているのかもしれないし、全然わかんない。
本当に、わかんない。
だからわたしは、自分がしいて言える言葉しか、言わないのだ。
それが、もし相手に「薄情だ」と思われてしまったのなら、それはもう仕方のないことだと思う。
言葉が得意なようで、言葉が苦手。
言葉が得意だからこそ、言葉に慎重になりすぎるのだと思う。
だから、言葉で飯食っているくせに、ときどき、言葉なんかなくなっちゃえばいいのにと、思うことさえある。