大人の発達障害

ASDの知識欲はいつか爆発的に役に立つことがあるかもしれない

ASDの傾向、特徴のひとつに「知識欲が高い」というものがある。

それは、総合的な知識を身に着けるのではなく、ある特定の分野にだけ特化する。自分の興味関心がある分野のことだけは、膨大な知識量を持つ。

わたしの場合、心理学・脳科学・言語コミュニケーション・組織機能など「人」に関することが多い。あとは宗教学なんかも興味があるので、一般的な人よりも知識を蓄えている自負がある。

(男性ASDは鉄道、天文学、生物、地理、コンピュータ、テレビゲームなどが多いのに対し、女性はこのように人間や社会にまつわる分野の興味関心が高いと、何かの本で読んだが、出典が現状定かではなく申し訳ないです)

ただ、何の分野にせよ、その知識量は一般的な人と比較すると膨大だと思う。それは仕事としてやっているから知識がついたわけでもなく、個人的に、自分の自由な時間を使って蓄えてきたもの。

なので、まさしく「興味関心だけ」で蓄えてきた知識。

その知識は、普段、あまり役に立たない。自分が社会でやっていくためには、大いに役立っている。しかし、そもそも役に立つとか立たないとかそういうことを抜きにしても、それを知ることが楽しいという感覚が強い。情報収集して、知識が自分の引き出しに溜まっていくのが楽しい。コレクションに近いものがある。

持っている知識同士が繋がって、点と点が線になるのも楽しい。とにかく自分の好きな分野のことを知るのは、「学ぶ」というよりも「遊び」や「娯楽」にも近い感覚がある。

でも、別にそれがお金に変わるわけでもないし、仕事になるわけでもない。

知識を披露する場もないし、逆にその知識を「必要だ」と思って発信してしまったがために「なんだこいつ」「めんどくさいやつ」という見方をされることもあるので、邪魔になることさえある。

でも、それはきっと、いつか爆発的に役立つ可能性を秘めているんだということを、最近体験した。

人間がわからないので、人間を知りたかった

わたしは心理学や脳科学、コミュニケーションや言語、人間組織の機能や構造などに興味関心が高い。

「好き」という感覚もなくはないが、どちらかといえば「わからなすぎるので、情報として収集していると安心する」という感覚のほうがしっくりくる。

おもしろい!楽しい!と感じることはもちろんあるのだけど、それよりも「理解不能な世界を、理解したい」と思っている。

最初は、個人的なことに使える心理・脳が最初だったが、そのうち家族機能やトラウマといった、幼少期の人格異形成、精神医学の分野に広がり、それがだいたい終わったら、今度は人と人とのコミュニケーション(友達関係や1対1の人間関係)に行き、最終的には人間同士が形成している会社組織や、コミュニティ内の構造の方に関心が向く。

こんな感じで、とにかく知識だけはつけていた。

何度も言うようだが、備えようとして備えたというよりは、わからないから知りたかった→知っていくうちに知識と知識が繋がって、自分の頭の中にひとつのシステムが構築される感覚が楽しい……という感じ。

もちろん、そのときどきに直面している問題や仕事上の悩みなどが、興味関心の度合いを強化させたかもしれない。

でもそれを「まったくムカつくよね」「やってらんないよ」と、誰かと愚痴を言い合って昇華することができないので、結局知識を蓄えて分析して構造を明らかにすることしかできないのである。

もちろん、そうやって愚痴を言いたい気持ちもあるし、言い合って気持ちが軽くなることだってある。でも、それだけでは完全に腑に落ちなくて、ひとりになってから悶々とするだけであった。だから、調べる・考える・調べる・実験する・証明される……の繰り返しをしている。

ASDの膨大な知識が、ある日突然爆発的に役に立った

わたしはこんなことを、15歳のときから続けているのだが、それが35歳になった今、爆発的に役に立つようになった。

たとえば、人の相談を聞いても、それがなぜ起こっているのか、何が問題なのかを瞬時に分析して、相手に納得のいく解析結果を出すことができるようになった。

周りに厄介な人が近づいてきても、それを以前より素早く、はっきりと認識できるようになった。理屈に基づいた判断を下したり、最適解が出せたりするようになったので、仕事面でも少し有利になった。

感情論ではなく、知識や学問、ルールに基づいて行動できるので、人間関係をスムーズにこなせるようになったり、わたしの脳みそを頼りにする人が出てくるようになった。

などなど。

メンタライジングの能力がいつのまにかついていて、それが社会のなかで生きるようになったんだ。

なんだか、すごい「できる人風」なことを書いたが、実際はそうではない。

知識欲に基づいて行動してきた結果として、このような面が「以前よりも」増えてきたというだけ。

実際は会議で決定したことや伝達事項が理解できかったりする。

ふわっとしたニュアンスが理解できないので、ひとりだけ初歩的な質問ばかりしている。小学2年生でもできる計算を間違えて発表してしまうし、事務作業のミスやメールやチャットの誤字脱字がひどい。メモがとれないし書類の整理もできない。(ADHDもあるので)

例外的なルール、変則的な時間割になるとすっぽり抜け落ちて、遅刻やすっぽかしなどもある。(周りを見ているとわたしのようなミスをする人はいないので、やはり少数派であることが体感的にわかる)

つまり、わたしが「爆発的に」と表現するのは、あくまでも自分の中でだけなんだ。

周りからみたら、どっちかというと「あいつなんなんだろう」と思われている節もある。

あくまでも自分のなかだけで、これまで貯めてきた知識と、年齢を重ねたことによる羞恥心の解放、そして自己理解が深まったことで得られた自己肯定感、あとは「人間、あるいは社会ってこういう構造になっているのだ」というシステム化が完了したので、いよいよそれが動き出せるようになったなという感じがする。

発達障害をもつ人は、成長曲線もガタガタ

脳機能のバランスが凸凹している人、いわゆる発達障害(神経発達症)の人って、成長曲線が右肩上がりには絶対にならないと思う。

緩やかに、だんだんと成長していくのではなく、ずっと横ばいだったのがある日突然ガタっと落ちて、そこからまた横ばいで、さらにちょっと上がって、また横ばいで、そしてある日を境にいきなりドカーンと上昇する……みたいなガタガタのグラフを描くように思う。

それは、バリバリADHDの息子を見ていても思うことだ。

もちろん、健常発達といわれる人だって、ちょこちょこ上がり下がりがあるものだと思うが、発達障害傾向の人はおそらく、乱高下しているのではないかと思う。

乱高下と横ばいを繰り返すので、全体的にはエネルギーの消耗が激しいし、波乱万丈になりがちなんじゃないかと思う。

成長曲線ではなく、上がり下がりの激しい成長直線を細切れに繰り返すような感じかな。とにかく、ゆるやかな曲線などはあり得ないなと思う。

わたしは今、その急上昇のタイミングにいるのだと思う。その大きな要因となったのが、これまで蓄積してきた知識だったということ。

だから別に、すごい人になったわけじゃなくて、一般的な人に追いついただけなんだろう。でも、わたしのなかでは、爆発的成長を遂げている感じがするのだ。

これが、もっと10代20代で起こることもあるのかもしれないし、40代50代で起こることもあるんだと思う。(想像の域、とは言い切れず周囲の人を見ていて感じること)

当然ASD傾向の人は、自分の興味関心を「何かの役に立てたい」と思っていないだろうし、披露するためにつけているわけではないと思う。でも、それはいつか、自分のなかで爆発的に形になることがあるかもしれない。

社会や他人から、求められる日が来るかもしれない。それは、強く言いたい。あなたの持っている知識は、絶対無駄にならないぞということを、言いたい。

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