最近は「女性らしい」という言葉を安易に使えない世の中になったようだ。からだの性別が女性だからといって、お茶汲みやお酌、料理のとりわけなどをさせるなとか、なんとかかんとか。
らしさに縛られたくないという気持ちは、ちゃんとわかる。
女性だからといってその枠にはめないでほしいとか、そういう気持ちは自分にもあるし、理解できる。
しかし、それはネットの中だけであって、現実の社会のなかでは「女性らしさ」が有利に働くことはいくらでもあると感じている。
ここで話すのは「枠にとらわれずに生きる!」とか「わたしはわたし!」とか、そいういう話ではない。役割として「女っぽさ」を活かせるほうが、自分のためにも、周囲のためにもなるケースは現実の社会においてまだまだたくさんある、という話をしたい。
どうがんばっても、大人の女性らしくできない
わたしは、大人の女性らしい振舞ができない。
わたしが言っている「大人の女性らしい振舞い」というのは、いちばんわかりやすい例でいうと、クラブのママっぽい感じだろうか。
身なりにもきちんと気を配っていて、人の輪の中ではにこやかにして、おしとやかでありながらも笑ったり、ちょっと怒ってみせたり。
時には冗談を交えて、振られたジョークにも粋に返すような感じ。
もちろん、ホステスさんはプロなのだから、あんな風に上手にできなくたっていい。なんというか……その場に“女性”として機能できる人は、世の中にけっこうたくさんいるものである。
別にそんなことができなくてもいいじゃないか。
昔はそう思っていた。男性っぽい服を好んで、男でも女でもない立場として生きようと思ったこともある。
でも、やっぱりこの社会で「妻」とか「母」とかをやっていると、それが頑張ってもできないというのは、けっこう不利だなと思うのだ。
わたしは、決して女性性が低い人間ではない。裁縫は好きだし、外見にも多少は気を遣う。オシャレをすることも好きだし、人前に出るときは化粧をするようにしている。
ただ、振舞いということに関しては、毛頭無理である。
そもそも、表情で感情表現をするのが非常に苦手なので、意識していないとついつい無表情になってしまう。
「女っぽさを出そう」と思うことはそもそもないのだけれど、わたしから女っぽさが出るとしたら、そのときは小学生の女の子になってしまうのだ。
幼稚で子どもっぽくなる。それも、決して悪くはないと思っているが、ときに滑稽ではあると思う。口調は幼児っぽくなり、ぴょこんとはねてしまう。
常に緊張しているので、目つきはきつい……というか、ギラついている。にこやかにしようと思うと、ひきつって不自然な笑顔になるので「やめたほうがいい」と言われるし、自分でもそう思う。
息子にも言われるのだ。「三者面談中の目つきが、ヤバかったよ」と。(揶揄ではなく、心配と捉えているが)
自分ではそんなつもりはないというか、いろいろ他の事に気が向きすぎているので、表情をやわらかくするとか、そういうことにまで意識が向かないのだ。
いつも周囲の動きをじっと見ていないと不安なので、ついつい目つきがギラギラしてしまううえに、あちこちに気が散るので、きょろきょろしている。
とにかく「大人の女性らしさ」とはかけ離れていることは、ちゃんとわかっている。
大人の女性らしくできる人は、すごい
何度も言うが、別に服装だとか髪型だとか、肩書だとかそういうことを言っているのではない。
たくさんの人の中で「女性」として自然に、役割を全うできる人は、すごいと思うのだ。
ただ、にこにこしているだけでもいい。
相手の話に、笑顔で合図地を打ちながら「うふふ」と笑って見せたり、やわらかく頷いたりとか、そういう仕草が自然にできるって、本当にすごいと思う。
でも、本音を言えば、そういうことができる人に「クソォ!」と悔しい思いを抱くのも事実。そういう人に、反応して、ちょっとした嫌悪感を持つこともある。
あいつ、わたしが頑張ってもできないことを、いとも簡単にこなしやがって…!そう思っている自分もいる。
こういう自然な振舞いや仕草、表情というのは、たとえば、何かを勉強したり、仕事を覚えたりするような「理解し、行動できるようになる」のとはわけが違うのだ。
じゃあこれが「演技」だったら、できると思う。女優になって、舞台で、淑やかな中年女性の役をやれと言われたら、きっとできると思う。
でも、現実世界は舞台でもないし、映画の撮影でもない。
周りの人間が何を言うか、何をするかもわからない、アドリブの世界。しかも、相手の話を聞いて理解しなくちゃいけない。それをしながら表情を上手に作ったり、理想的な相槌を打ったり、冗談にもうまく返したりなんていうことは、無理だ。
わたしはけっこう「できないことも、できるようになりたい」と思うタイプだが、どうもこれだけはできるようになる気がしない。
むしろわたしがそれをやったら、気色が悪いしヒンシュクものだという気さえする。
だから結局「そういうことができたらいいのに」と思う反面「そんなことはしたくない」とも、思っているのだろう。
根っから女っぷりが溢れている人を見ると、なんだかイラっとするのだけど、それと同時に「憧れ」を感じる自分もいる。
女性として、あんな風に振舞うことができたのなら、きっと周りの人も気分がいいだろうし、場の雰囲気もよくなるに違いないからだ。だから、さんざん文句を言ったあとで「でも、すごいよな……」と、その能力を認めざるを得ないんだ。
もちろん、そういう振舞いや仕草、表情の柔軟性だけじゃなく、普通に仕事の出来や思考能力も高い人が、わたしの周りにはごまんといるのだから。みんな、本当にすごい。
女らしくはできないが、女らしさが不要な場所で活躍すればいい
わたしは女らしく振舞うことはできないが、女らしさが特に不要な場面、仕事、コミュニティというのもたくさんあるので、そっちでのうのうと生きている。
むしろ女ばかりの場所では女らしさは邪魔になることもあるし、別に男でも女でもどっちでもいい場面の方が、実際は多い。
だから、自分はそういう場所で活躍できればいいと、あきらめている。
というよりも、性別が関係ない場面でしか活躍できないから、自然とそういう風に暮らしている。
ただ、ときどき「女らしさ」があったほうが自分にとっても有利で、さらに周囲のムードもよくなるような場面は、ある。
そういう場面に遭遇すると、ちょっとグサッとなるのは本音だ。目の前でまざまざと、上手で美しい振舞いを見たりすると、正直比較するし、凹むのだ。
まぁ、わたしの場合は女らしさ以前に、常にドタバタしていて、忘れっぽくてミスばかりで、かと言えばやりたいことを周囲の目も気にせずやってしまって、そうとう変だと思われていることはわかっている。
でも別に、そういう自分は嫌いではない。