わたしは敬語で話すのが好きだ。でも「敬語で話すのが好き」という意見に賛同してくれる人はなかなかいない。
ネットで検索してみたが「いつまでも敬語を使われると悲しい」とか「誰にでも敬語を使うのは自信がないから」など、否定的な意見が多くてびっくりした。
ある程度親しくなったらタメ口に切り替えるのが、一種の礼儀のような風潮もある。
敬語からため口に切り替えるタイミングがわからないという悩みも多い。(これはわたしも同感だ)
わたしは本来なら「誰とでも敬語で話したい」のが本音だ。若い頃は敬語が好きだ、ラクだ、と思ったことはなかった。むしろ昔は学校の先生などにもタメ口を使うタイプだったような気がする。
しかし大人になるにつれて「敬語って、なんて楽なんだろう」と思うようになった。
敬語と言っても、堅苦しい言葉遣いをするわけではない。
使う言葉遣いと、話の内容の深さにも関係がない。「言葉遣い」と「親しさ」は必ずしも比例しないと思っているからだ。
敬語を好む理由
わたしが敬語を好む理由は1つではないように思う。それに、敬語を好んでいるからといって、実際に誰にでも敬語を使うわけではない。
敬語は距離感がとりやすい
敬語で話すことで、距離感を適度に保ちやすくなる。タメ口を使うことも親しさの証という考えもわかる。言葉遣いひとつで相手と距離を縮めることもできるだろう。
ただ「人とのちょうどよい距離感を掴みにくい人」もいる。わたしは人との距離感をちょうどよく保つのが苦手だ。距離が近くなりすぎて自分のパーソナルスペースを明け渡しすぎることがある。
タメ口を使うと、相手と自分の境界線があいまいになってしまうので、人間関係がつらくなってしまうのだ。
だから、心理的な距離感を保つためのひとつの目安として敬語を使う方がよいと考えている。
実際に、こんな例がある。わたしの知人Tさんは、自分の姉とメールをしているとすぐに喧嘩になってしまうことに悩んでいた。
姉妹ということでどうしても心理的な距離感が近くなってしまい、お互いに相手の境界線に踏み込んで衝突しやすかった。
そこで、2人は敬語をつかい、わざと丁寧な言葉遣いを心がけてメールをするという策を講じた。するとお互いに適度な距離感を持つことができるようになり、喧嘩したり嫌な気持ちになることが減ったのだ。
敬語は、人との距離感を保つのが苦手な人にとって有用なことも多い。
年齢や立場によるヒエラルキーの概念がない
もうひとつは、ヒエラルキーの概念がわかりにくいのも理由だ。
年齢や立場など、上下関係を示すヒエラルキーの概念がないので、敬語を使う相手・使わない相手が判断しにくいというのもある。
日本語は、難しい言語だ。上下関係という実にあいまいな関係性によって、使う言葉がかわるのだから。
「その線引きは一体どこですればいいのだろう?」と迷ってしまう。立場が上の人に敬語を使うのが常識なのであれば、すべての人に敬語を使えばいいのに、と思ってしまう。
たとえば、職場の上司や先輩に対しては敬語を使うのが常識とされている。しかし、1週間前に入った同じ年の人が「同じ年じゃん、タメ口でいいよ」なんて言ってきたりする。
こういうとき、いやちょっと待ってくれと思う。同じ年だろうが、入ったのが1週間先だろうが、この人は「先輩」にあたるのだからタメ口で話せない!と思ってしまう。
話したくないような気もするし、難しくてできないという感じもする。使い分けが難しいのだ。
他にも「子どもにはタメ口を使う」というのもよくわからない。子どもとは、どこからどこまでなのかがそもそもあいまいだと思う。
小学生まではタメ口でいいかもしれない。でも中学生はもう敬語のほうが適切ではないか?その線引きができない。
だからわたしは、幼稚園児だろうが小学生だろうが高校生だろうが、親しくない人や初対面の人には全員同じ敬語で話しかける。(ただ向こうがタメ口で親しげに話しかけてきたら、つられることもある)
年齢や立場と精神的な年齢はまったく別だ。「年齢や立場で言葉遣いを変える」というルールがあいまいすぎて理解できないのだ。
敬語には「やわらかさ」がある
そしてなんといっても、敬語にはタメ口にはない「やわらかさ」があると思う。もちろん関係性にもよる。
ただ家族外の友人知人、職場の人などの「外の人」との親しさはすごく微妙で、その度合いは目に見えないのでわかりにくい。
「どうした?」と言われるよりも「どうされましたか?」「どうしたんですか?」と言われた方が、やわらかい感じがする。
「今日は無理なんだ」と言うよりも「今日は無理なんです」と言った方が角が立ちにくいように感じる。
「よろしくね」と言うよりも「よろしくお願いします」のほうが、心がこもっているように感じる。
これは完全にわたしの好み、感覚の問題かもしれない。
それに、敬語は少し難易度の高い言葉なので「言葉を使う前に一呼吸おけるのではないか?」という気もする。言葉を大事にするには、丁寧にゆっくり考えて言葉を選ぶ必要がある。そのためには、タメ口よりも敬語の方が適したツールなのだ。
敬語の方がやわらかくて好印象に感じる人もいるということは多くの人に知ってほしい。タメ口が基本言語で、敬語が補助的な言語ということはないはずだ。
敬語を好むのは、ASDの特徴のひとつ
敬語を好むのは、ASDも関係していると思っている。ASDはTPOに合わせること、相手によって臨機応変に話し方を変えるのが難しいとされる。
しかし、わたしの場合相手によって言葉遣いを変えることはできている。(と思う)
でも、とても疲れるし違和感を抱くことも多い。切り替え方がわからなくてムズムズするし不快な気持ちになることもある。
「いつまで敬語なの?タメ口でしゃべろうよ」と言われるのはとても嫌だ。でも、それに応じないことで「自分勝手」とされるのだろうか。その辺の感覚はよくわからない。
それに、ASDは言葉を字義どおりに受けとるので、タメ口で冗談まじりに「バカだね~」とか「アホか」とか「お前誰だよ」とかボケられた日には、わけがわからないし本気にで嫌な気持ちになる。
そういうこともあって、タメ口になると異様に距離が近くなって「侵入」されるように感じるのかもしれない。
敬語は「敬意を示す言語表現」
敬語は「話し手または書き手が相手や話題の人物に対して敬意を表す言語表現」とある。(goo辞書より)とある。
そう、敬語その字のごとく相手への「敬意」なのだ。敬意って、目には見えない。どんなにラフな言葉を使っていたとしても、そこに敬意があるかどうかは目で確認することができない。
でも、敬語で話すということは、少しだけその敬意を目や耳で確認しやすくなるというか。「そういうことで親しさを測るな」という意見もあるかもしれないけど、そういうことで測らないと適度なラインがわからないこともあるのだ。
誰しもが、敬語とタメ口を自由の好きに使い分けられるわけではない。年下にも敬語を使うからといって、自信がないとかプライドがないわけではない。「変な奴」に見えるかもしれないが、実はこんなふうにちゃんと理由があるのだ。
わたしはこれからも、敬語を愛用していくつもりだ。
凄くよくわかりますヽ(;▽;)ノ
タメ語でいいよ、など頻繁に言って頂けますが、敬語の方が私には、柔らかいので使っています。
コメント、共感ありがとうございます。
タメ口の方が好き、とは限らないのですよね。