自分にどんな言葉をかけているか。
言葉の大切さをよくわかっていても「自分」に対してどのような言葉をかけているかというのは案外振り返る機会が少ないと思う。
そもそも、人に対しては「他人にそんな言葉をかけてはいけない」「かける言葉がみつからない」など「言葉をかける」という表現をよく使うだろう。
しかし自分にかけてあげる言葉というのは基本的に「思う」である。ただの思考でしかない。
だからこそ、自分に言葉を「かける」という行為は、意識的にならないとできないことである。
もう一人自分がいたら何て言うかな?
昨日、夫と話をしていたときのこと。夫は今仕事やその人間関係で悩みを抱えていて、かなり精神的にきつい状況にある。やめてしまいたいと口にすることも。
しかしふと、夫は「もう一人自分がいたら、俺になんて声をかけるだろう」と言った。
そして少し考えてから「相手は変わらない、自分が変わるしかないって言うだろうな」と言った。
わたしはそこで「もし自分の息子が同じような状況にあったら何と言う?」と質問してみた。すると
「バカなやつは放っておいて、自分の考えや捉え方を変えるしかないって言うだろうな」と笑った。
重要なのは、夫がどんな言葉を思いついたかではなく、他人にかける言葉と自分にかける言葉、どちらも同じだったこと。
そして何より「自分に自分はどんな言葉をかけるか」という発想がとても素敵だと思った。
人にかける言葉と自分にかける言葉
ここでわたしは「自分にどんな言葉をかけるか」の重要性を強く感じた。
わたしは人にかける言葉と自分にかける言葉が違っていることがあるからだ。
他人にはきつい言葉を絶対に言わないようにしているし、そもそも「言えない」ことの方が多い。
しかし自分には平気で否定的な言葉をかける。言葉をかけるというか、自動的に思考が湧いてくるということだ。
でもそれは誰しも同だろう。思考は勝手に湧いてしまうもので、意識しなくても感じ、考えるはずだ。
人にかける言葉と、自分にかける言葉の違いは「かける」と「思う」の言葉から紐解くことができると思う。
「かける」と「思う」
人に言葉をかけるときだって、まず最初にその出来事や相手に対して「思う」という段階があるはずである。
夫は「相手は変わらない、自分が変わるしかないよ」という言葉を自分にかけるとしたが、その前には相手に対して「ムカつく」「バカにしやがって」「コノヤロー!」という正直な「思い」があったはずである。
相手がいるときは、思いを一回飲み込んでから言葉を選ぶ猶予がある。
思いは思いで別にあるけれど、相手を前にしてどのような言葉をかけるのが適切なのか、ということを吟味する。
(ここで、思いを飲み込めない人もいる。直接相手を侮辱してしまう人は思ったことを思ったまま口にしてしまうのかもしれない。)
しかし、自分に対しては言葉を選ぶ猶予がない。思ったことはそのままダイレクトに脳に入ってくる。
わたし自身「何やってんだ」「バカだな~」「またやらかしたのか」「ダメなやつ」という自動思考は今でも湧いてきてしまう。
でもここで「かける」を意識すれば思考のインパクトも中和されるんじゃないだろうか。
「思う」ことは止められない。激しい感情が湧いてくることもある。それは止められない。
そこで、but(しかし)を使って時間を稼ぎ、自分にかける言葉を吟味することはできるんじゃないかと思った。
ただ、普段の生活、忙しい毎日のなかではいちいちbutをしている時間がなかったり、そこまで気が回らなかったりする。
だからこそ、意識的になるのだ。
自分にかける言葉は「思う」と「かける」の2段階を意識する
つまり、自分に言葉をかけるときは「思う」と「かける」の2段階を意識して、きちんと区別しなければいけないということだ。
人に屈辱的なことを言われたとして、その瞬間は何を思っても自由。でも「しかし、相手はイライラしているんだ。相手の言葉は事実ではないよ」と言ってあげてもいい。
ミスや失敗をしたとき、その後自分を責めてしまってもOK。でも「しかしわたしは、わざとミスしたのではない。同じ失敗をしないために対策を考えようよ」という声を「かける」ことができるはずだ。
多くの場合、思う段階で終わってしまっている。
以前のわたし自身も「思う」だけで終わっていたので、自分を責めすぎたり、相手を批判的に見たりと、偏った思考が固着してしまった。
「思う」で止まってしまうと、自分に厳しくしすぎたり、自分をあまやかしすぎたりする。自分をいじめることもある。過去の経験や根付いている言葉に引っ張られるからだ。
しかし、「思う」は主観だけれど「かける」は客観だ。自分の立場や行動を客観的に見ることができる人は、きっと客観的な「自分への声掛け」の2段階目までやっているのではないかと思う。
「かける」という言葉には“相手に影響を及ぼす”という意味や“心をそこに置く”という意味もある。
自分にかける言葉は、自分に大きく影響を与え、自分にどのような心を向けるかでもあるのだ。
自分にかける言葉で思考や脳の回路を変える
ここまで考えてみて、この2段階プロセスは思考や脳の回路を変える方法のことだと思った。
言葉を変えれば人生が変わる、見える世界が変わるよ、というのはよく聞く話だ。
それは、主観的な「思う」の世界から、客観的な「かける」の世界に軌道修正していくことなのだ。
わたしたちは幼いころからいろいろな言葉を浴びて育っている。
そのなかにはひどい言葉がどれだけあっただろうか。相手の意図に関わらず、ネガティブで当たりのきつい言葉というのは巷に溢れているのだ。
しかし自分が好きな言葉を、自分にかけてあげる習慣をつけることで「思う」ことそのものがそっちに引っ張られていくのだ。
今まで外界のひどい言葉に引っ張られていたけれど、今度は自分が安心できる大好きな言葉で引っ張っていけばよい。自分がもう一人いたら、今の自分にどんな言葉をかけるか。
自分が欲しい言葉をくれるのは、他の誰でもない自分だけなのだ。
大好きな美しい言葉の力を信じたい
信じたくもない汚い言葉に影響されるなら、信じるべき大好きな言葉にも影響力はあるはずである。
言葉にこだわる人、言葉で傷ついてきた人なら、きっと言葉の影響力やパワーを信じているはず。
わたしは、パワーが強いと恐れられているネガティブな言葉よりも、自分が自分でコレクションした美しい言葉の力を、みせてやろうと思う。
自分の好きな言葉、自分の理想の世界を作る材料を集めて集めて、自分にしこたまかけてやるのだ。