ストレスが極限になってくると、人は大なり小なりの「妄想」にむしばまれてしまうものである。
妄想とは、根拠のないことをとりとめもなく想像してしまうこと。とらわれの心によって、真実ではないことを真実であると間違って意識してしまうこと、とある。
わたしはストレスが溜まってってくると、エネルギーが枯渇する感覚がよくわかる。こうしてしょっちゅう文章を書いていたのが止まってしまう。言葉が出なくなる、動きが止まるなどということがある。
ここで焦って何かしようとするとさらにひどい状況になることは、これまでの経験からもよくわかっている。
とにかく元に戻るまでひたすら待つしかない。ストレスが溜まると眠れなくなるという人もいるが、わたしはストレスが溜まるとずっと眠ってしまうタイプで、きっと至って健康なのだろう。
しかし、ここで気をつけなければいけないのは、とらわれの心による妄想だ。
わたしはエネルギーが下がってくると、ありもしない妄想が浮かんでしまう。
たとえば「わたしがこのような状態になることを、誰もが見透かしていたのではないか」という妄想だ。
「やっぱりあの人は問題ありだよね」「最初からそんな感じがしてた」「こうなったのはやっぱりあの人のせいよ、前から変だと思ってたもん」「そういうところがダメなのよ」
こういう何者かの声が浮かんでくる。(聞こえてくるわけではなく、浮かんでくるだけ)
これは完全に妄想である。
赤の他人に、自分の精神状態を知られているのではないかという気にもなってくる。軽い思考伝番や被害妄想だ。
これらの考えは妄想であり、現実ではない。
「よからぬ妄想が浮かんでしまっているぞ、ダメダメ。わたしは今、ストレスが溜まっているだけなのだから、そんなありもしない想像をするなんて、自分で自分の首をしてめているだけだぞ。」
そう自覚できるし、自己コントロール力は保っている。
しかし、妄想は勝手に浮かんでしまうものだ。
「やっぱりあの人は問題ありだよね」「こうなったのはやっぱりあの人のせいよ」「前からおかしいと思ってたもん」
こういう声が浮かんでしまうと、今まで自分がやってきたことや過去のことにも意識が向いてしまうのだ。これがやっかいだ。
あのことも、あのことも、間違いだった。罪だった。やってはいけないことだった。
そういう、自分の存在や行いのすべてを、何者かに批判されたり、白い目で見られているような気がしてくる。
今までもきっと、こういう状態に陥ったことが何度もあったと思う。はじめての経験などではなく、馴染みの感覚だからだ。
でも、今まではこれが「妄想」であることに気づかなかった。「自分がよくない状態にある」と、わからないことが多かった。
思えば少し前まで、ストレスが溜まるとしょっちゅうこの妄想が起こっていた。しかも、それが妄想というものであることも気づかずに、半ば信じてしまっていた。
ストレスや疲れに気づかない、自分の感情に気づくのが遅い。それも原因のひとつだろう。
しかし、今は自分が妄想にとらわれていることがはっきりとわかる。
「しんどい」という話をしたいのではない。
自分今どのような状態にあるか、を実にはっきりと客観視できるようになったという、成長を感じているのだ。
今まで、普通にやっていたことが「滑稽だ」と思えるようになった。どんな状況にあっても、自分が以前よりも進歩しているということがわかると、それが心の支えになる。