自分で決めた、自分との約束を自分で破ると生きづらくなると思ってる。
わたしは、どんなことを自分と約束しているのか、改めて考えてみた。
いくつかあるのだけど、まず一番大きいのは「逃げない」ということ。
たとえば、何も言わずに連絡を絶つこと。いわゆる、ばっくれるという行為だ。
わたしは昔、10代の頃に仕事をバックレたことがある。
未成年だからといって、許されない行為だと思う。でも、それをわたしはやったことがあるのだ。
仕事が憂鬱だ、人が怖い、自分がどう思われているか不安、嫌われているんじゃないか、もう来ないでほしいと思われているんじゃないか。
そういう不安からわたしは、バイトをバックれたことがあるのだ。
こういう風に、本来とるべき責任を取らずに逃げる人が、わたしは一番気嫌い。
自分もそれをやったことがあるんだけど、そのうしろめたさはずっと残るんだ。
10代の頃、わたしはどんなバイトも続かなかった。仕事ができないし、人が怖いし、上司に「自分で仕事を積極的に覚えようとする姿勢が足りない」などといわれた。
言われたことをやるのが仕事だと思っていた。言われていないことをやれといわれても、わからなかった。
仕事を教えて欲しいと、自分から願い出る必要があるなんて知らなかった。
「やりましょうか」とか「自分それやります!」「教えてください」と、申し出ることが仕事を覚える姿勢だなんて、全然わからなかったんだよね。
まぁ、その話はいいとして。
当時わたしは仕事をバックレた。自分から連絡をしなかった。バツが悪いから、逃げた。
それが一生の恥というか、汚点になっているんだ。(いや、今はほとんど思い出さない。でも、あれが自分を嫌いになる要因だったなぁというのは痛感している)
それは、自分との約束を破っているからだ。自分で決めて、自分で始めた仕事をバックレるってことは、自分がやったことに対しての責任から逃げるという行為になる。
一時的には、嫌なことから逃げられて楽かもしれないけど、その罪悪感と恥ずかしさと、自分への嫌悪感は一生残るのだよね。
昨年の1月、わたしはすごくしんどいことがあって、一時的に精神を病んだ。
知人から軽く脅されて、家族みんなで疲弊するようなご近所トラブルみたいなことがあった。
毎晩眠れなくて、食事もろくに摂れず、精神が崩壊しかけた。
そのとき、当時請け負っていた執筆の仕事もできなくなった。ぎりぎりまで、頑張ろうとして、いっしょうけんめい取り組んだが、寝ていないし食べられないしで頭が全く働かない。
そもそも、そのことを考えるので脳のリソースがいっぱいいっぱい使用されていて、残りの容量がない状態だった。いつも上の空で、目の焦点もさだまらなかった。
で、わたしは、仕事をくださっている会社の人に正直に謝罪した。プライベートで突発的なトラブルがあって、どうしても今受注している仕事ができなくなった。直接、オンラインMTGで顔を見せて(どすっぴんのひどいクマの顔)謝罪した。
ライターを始めてから、そんなことは一度もなかった。このトラブルさえなければ、わたしはもしかしたらあの仕事を続けていたかもしれない。ちなみに、けっこう有名な企業の記事作成代行業務だったから、お金もよかった。
でも、わたしはそれを手放した。
相手の会社の方は、わたしの意味不明な説明にも、真摯に対応してくれた。
「それは、前からわかっていたことですか」
「今回の依頼を受ける前から続いていたことですか」
など、厳しくも、優しい問いかけでわたしの状況を聞いてくれた。
正直に「いえ、ここ1週間に降りかかってきたトラブルです」
「もちろん自分の責任ですが、どうしようもない。眠れないし食べれない、普通の生活が送れていない。なので、記事を書こうとしても書けない。先方様の求める制作物を作ることはできない」と正直に、話した。
企業様には本当に迷惑をかけた。
相手がわたしに何を思ったかはわからないが、とにかく緊急事態なんですねということで、巻き取ってくださった。
このとき、確かにわたしはひどい状況にあったが、自分なりに誠実に申し出て、頭を下げた。自分の中で「逃げた」とは思っていない。本当に無理だったから。
だから、このことは、自分にとって罪悪感や恥などの気持ちがまったく残っていないのだ。
チャットルームを見ても、嫌な感じがしない。見たくないとか、記憶から消したいとか、そういうことも一切ない。
問題は「本当はもっときちんと対応できたはずなのに、めんどくさくてしなかった」とか「頭を下げるべきだったのに、その行為から逃げた」という体験は、自分の首を絞めると思う。
だから、何が言いたいのかというと
自分可愛さで、相手から逃げたことを、相手にせいにして、無理やり自分をなっとくさせていることが、いくつもいくつも積み重なると、生きづらさになると思うんだよね。
責任をとらないで、バックレたり、相手のせいだと罪を擦り付けたりしていると、その罪悪感とか、恥の心って、ずっと付きまとってくると思う。
でもさ、それって、きっとそうやって生きてきたモデルがどこかにいて、それを信じてやってきただけであって、その人に完全なる罪があるわけではなかったりもするよね。
人は、誰かを見て学んできたこと、経験してきたことしか使えないから。