女性のASD

子どもの発達に不安があったら【体験談】

いつもは、自分自身の発達特性の話や生きやすくなるための考え方などを話しているが、今日は「子ども」のことについて話してみようと思う。

わたしが、自分自身に発達障害の特性があることを知ったのは、息子が学校に適応できず、当時のスクールカウンセラーの先生に、検査を受けてみてはどうかと言われたことがきっかけだった。

息子はわたしとは正反対の性格・特性を持っている。息子はADHD傾向が強め、知覚推理能力が突出していてワーキングメモリーが低いタイプ。全体的なIQは平均的で学力もそれなりという感じ。

ただ衝動性が強いし、発達障害特有の認知のしかたをするのでいろいろな場面で悩みやすい。わたしとはタイプが正反対だけれど、どこか理解できる部分や似ている部分もある…という何とも不思議な関係だ。

当時はとても悩んだ。10人の医師が見て、10人全員が発達障害を診断するようなレベルではない。グレーゾーンに近いと思う。人によっては「診断がつく」と言うし「個性の範囲内」という人もいるみたいな位置である。

確かに不器用だし、ケアレスミス大魔王、早起きしても遅刻ギリギリ。提出物の管理はできないし、かばんの中はぐちゃぐちゃだ。

そんな彼は今中学生だが、発達障害の診断をもらっていない。あのとき、わたしは「今は診断しない」という選択をした。

見た目にはわからない「障害」の捉え方

息子が小学校4年生のとき、スクールカウンセラーの先生にこう言われた。

「診断をもらって薬を飲んで、彼の足を引っ張っている部分を補ってあげるのも親の役目ですよ」

確かにそれも仰る通りだと思った。なるほど、最近の支援分野ではそう考えるのかと。

そうするのが親の役目。そうするのが彼のためではないですかと問われたときは、すごく迷った。

でも、それからいろいろな機関に相談に行き、病院を3件以上まわった。

その結果、思ったこと。

この子を「障害者」の枠組みに入れないでおこう。そう思った。

発達障害は早期発見が大事だといわれる。療育や放課後デイサービス、カウンセリング機関などの支援につなげるためには、診断を受けて、親が支えていくのが今のスタンダードなのかもしれない。

でも、わたしはそれをやろうと思えなかった。

本人にも伝えたし、子どもが読んでも理解しやすいような本も渡した。でも「ADHD?なにそれ」「うわあ、これ俺のこと書いてあるじゃん」と言うだけで

「だから、何?」という感じだった。

障害という概念が、彼のなかにはなかったのだ。

確かに彼は、社会のなかで悩んでいた。友達とうまくいかない、先生に理解されない、誤解される、気持ちをうまく言えないなどなど。

「頭の中がいつも関ヶ原の戦いなんだよ!」と言っていた。

「悩んでいるなら、こういう方法もあるよ」

「学校にこのようにお願いすることもできるよ」

そんな風にわたしが提案することも、ほとんど突っぱねた。

「いや、いい。なんとかやってみるから」

それをかれこれ5年は続けているだろう。

ひとりになりたいときにクールダウンできる場所を作ってもらう、学校に行けないときの別室登校など配慮をお願いすることはある。

でも、これは別に「発達障害」という診断名がなくても、配慮してもらえたのだ。(自分の頃には考えられないことだけど、今は結構融通を利かせてもらえる)

でも、わたしはこれを素晴らしいことだと思った。

彼は「自分はこれが自分だけど、何か?」というスタンスなのだ。これって素晴らしいこと。

彼は自分を自分として、ちゃんととらえていたのではないか。

そんな彼にわたしは「あなたには障害がある!」とは、言えなかった。

家族のなかで「息子は息子だ」と、いつも受け入れていたから

「彼のなかでは」それでよかったのではないかと思う。あくまでも彼のなかでは、だけど。

わたしが子どもの頃、親はどう思っていたのか

自分が子どもの頃、親はわたしのことをどう思っていたのか。

「とにかく心配」だったそうだ。

「将来が心配」「この先どうするんだろう」「このままではマズイ」

そんな言葉を何度も聞かされた。

確かにわたしは子どもの頃から不器用で、考えが偏っていて、普通の女の子とは結構違った。実際に大人になってからも「あなたを育てながら、この子はどうなっちゃうんだろうと思った。ボーっとしていて、表情もないし、何考えているんだか全然わからないし」と、当時の本音を教えてもらった。

そうだったんだろうなぁと、今では素直にそう思う。

母とわたしは真逆のタイプで、母には強いADHD特性がある。そう、わたしと息子が真逆なのと同じだ。(隔世遺伝かなと思っている)

だからお互いを全然理解できないし、親は理解できない子のことが心配で心配で不安で不安でしょうがないのだろう。

だから「親として何をしてやればいいんだろう」と悩む気持ちはわかる。親がそう感じていたことも、そして自分が子どもを心配してあれこれ調べて、動き回ったときの気持ちもちゃんと覚えている。

わたしが子どもの頃に発達障害という概念が浸透していたら?

わたしが子どもの頃は、まだまだ発達に凹凸があるなんていう概念はなく、みんながみんな同じようにできるものであると信じられていた。

でも、今の精神医療では「この子にはこういう特徴があるね」「こういう傾向が強いね」という分析ができるようになった。

ASDもAHDHDも、目次や索引の役目を果たすものであると思う。HSPもしかり。同じ特性をもっていても、それぞれ全然違うので、一概にASDだから・ADHDはこう!と決められるものではない。それが難しい部分でもある。(精神医療を学べば診断のつけ方とか、カテゴライズの方法がわかるのでより理解が深まるかもしれない)

親が「この子にはこういう特性があるんだ」と知っているだけでも、昔のわたしとは全然違うと思う。目次や索引があれば、やみくもに心配して悲観しなくて済むだろう。

もしわたしが小さなときに、母が家族やわたしのことでどこかに相談して、ASDやADHDがあるとわかったら、母は救われたのではないかと思う。考えや子育ての方向性を決める指針ができたんじゃないかと思う。

診断をもらったからと言って、何かが解決するわけではないが、子どもの得手不得手や大まかな傾向をつかむことができたんじゃないかと思う。

今わたしがやっていることは、親にしてほしかった対応

今わたしが息子にしている対応は、わたしにも発達障害があるという前提で、親にしてほしかった対応だ。

  • この子は一般的な同年代少し違う
  • 自分とは真逆、正反対である
  • 何も考えていないように見えて頭の中がカオス
  • 黙っているときはパニック状態
  • 何も考えていないように見えてものすごく考えている
  • 時間の逆算が苦手
  • 助言や忠告を批判と捉えやすい
  • 被害妄想が強い
  • 頭の回転に言葉が追い付かない

などなど、ADHDや発達障害の特徴を念頭に置いて接するだけでいいと思っている。

「念頭に置く」という言葉がポイントである。念頭に置くとは「忘れないように常に心掛ける、考えている」という意味だ。

こうさせよう、ああさせようと、意図しないこと。自分の心配で動かないこと。わたしがなんとかしてあげなきゃ、今やっておかないと将来こまる、という考えを捨てること。

もちろん、全部捨てることなんかできない。

毎日毎日、一瞬一瞬、ものすごく考える。「ここでわたしが何かしなかったら、将来この子は困るんじゃないかとか、職を転々とするんじゃとか、恋人や自分が持つであろう家族ともうまくいかないんじゃないかとか、思う。

でも、先のことを心配してあれこれ口を出して手を焼くことはしない。発達障害の子はいつか、予期しないところでぐんと伸びるともいわれる。そこで、まだ起こってもいない先のことを心配して過干渉にしてしまうと本末転倒なのである。

これって、子どものことを心配しているようで、実は自分の心配をしている状態だと思う。だからわたしは、自分の勝手な心配で動かないようにしている。わたしが母にそうされて、深く傷ついたからだ。

でも、この毎日毎日、一瞬一瞬「これでいいのかな」と考え続けるのがつらいのだよね。でも、それは真剣に子育てをしている人であれば、発達障害の有無も関係ないのかもしれないなぁと思う……けど違うのかな。わからないや。

いつでも「助言」できる立場でいること

わたしが親として大事にしていることは、子どもが困ったときに助言できる立場でいることだ。

もしも子どもがこの先、何かに悩み、つまずき、傷ついたとき、それを話せる存在であること。また、その告白に対して客観的に助言できる知識と経験を持つこと。それだけだ。

子どもは、親に何でもかんでも話すわけじゃない。でも、友達に相談しても解決しないことや、誰に聞けばいいかわからないことを、ふと親に言ってみようかなと思うことはあるかもしれない。(わたしは自分がそういう経験がないのでわからないが)

そのときに、自分の知識や経験をもとに語れたらそれでいいと思う。そして、子どもをよく観察していること。「お母さん、わたしのこと(僕のこと)よく見てるんだな」「なんでわかるんだろう」と思ってもらうこと。これだけで、子どもは割と復活する(これは実証済み)

そのためには、心配するというよりも、子どもを観察して行動パターンや思考のクセなどを知り尽くすしかないと思う。それをあえて子どもに伝える必要はなくて、それを知っていればいいだけだ。

もし、人生のどこかで、子どもに診断が必要になる場面が来るかもしれない。息子の場合、将来障害者雇用で働くことになるかもしれない、と思うことなんて多々あるし、人間関係や家族関係で悩んだ時に、特性の話を改めてしてみるのもいいと思っている。

今はわからないかもしれないけど、もしこの先本当に悩んで傷ついたときにはじめて、子どもが自らが自分を知ろうとするかもしれないのだ。

そのときまで、診断名や特性の名称、カテゴライズはとっておいてもいいと思う。

自分には障害がある、と思うことで自分のキャパや行動を制限してしまうかもしれないし、枠にはめることで可能性を消してしまうおそれだってある。グレーゾーンは特にそうだと思う。

傷つくことは悪いこと?

親である以上、自分の子どもにはできるだけ常にハッピーであってほしいと思う。

でも、そんなのは親にコントロールできることではない。社会に出れば、とんでもない奴はいるし、いつどこで交通事故にあうかわからないし、通り魔に刺されたりたまたま乗ったバスや飛行機がジャックされることだってある。

それは、わたしたちにコントロールできない。

そのことを悲観して今、不安にならないでほしいと思う。

悲しい、悔しい、つらい、腹が立つ!

そんな経験をすることも、子どもの人生にとって必要なこと。ハッピーだけの人生なんてない。それは、障害の有無にかかわらず、全員がそうだ。

でも、子どもが傷つくことを極端に恐れる親もたくさんいる。わたしも、ときどきそういう気持ちに陥ることがある。

子どもを守れるのは親しかいない。

それと同時に、親にはできないこともたくさんある。

社会にしかできないこともたくさんある。

なんだかとりとめもないことをたくさん書いたけれど、

発達に不安がある子ども、とくに知的の遅れのない、息子やわたしのような凹凸の子どもをもって不安だったら……

「毎日他愛もない話ができる関係でい続ける」

それに尽きると思う。

それに加えて、静かに、密かに、発達や人生観について学んでいれば、どこかで必要な助言や手助けができるかもしれないと思っている。

そして自分も自分の好きなことをやって、人生の経験値を作っていけばいいと思う。その経験から語れることもある。

もしいつか子どもが本当に悩んで、傷ついたときに、どこに相談するのかなんてわからないけど、そんなときに頼ってもらえるような人間でいることだ。

わたしはいつも、そういう感じで、子どもに接している。それが、わたしが親にしてほしかったことである。

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

*