アスピーとは、ASD(自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群)やその傾向を持つ女性を指し示す愛称のこと。わたしはこの「アスピー」という言葉に出会い、その実態を深く知ることによって、自分の内面に鮮やかな色味がわぁっと広がるような感じがした。
これまでにも色々と「わたしはこれかもしれない」というカテゴリーには度々出会ってきた。でも、どこか疑問点が残るというか、納得しきれない部分を残していた。だからこそずっと調べることをやめなかった。
この記事を読んでいるあなたもきっと、女性の発達障害に関して情報を集めている最中だと思う。わたしたちにとって、自分のことを知るのは何よりも興味深く、没頭できることなのではないか。長年探してきたもの、それを自分なりに判断するための材料がここに、ひとかけらでもあれば。
そんな思いで、この記事ではわたしがアスピーに出会うまでと、なぜこのような記事を書いているかを自己紹介を兼ねて記すことにする。
「アスペルガーは空気を読まない」という間違った認識
「アスペルガー」とは、知的な遅れを伴わない自閉スペクトラム症のことをいう。現在ではアスペルガー症候群という分類は廃止され、自閉スペクトラム症(ASD)で統一されているが、わたしは「アスピー」の愛称がとても気に入っているので、ここではアスペルガーという呼称を多用している。
アスペルガーは空気が読めない。場にそぐわない発言や突飛な行動をするために孤立し、人に嫌われやすい。そういう認識を持っている人も少なくないと思う。
「アスペ」ともいわれ、空気の読めない言動をする人や、変わった特徴を持つ人のことをバカにするような、悪口のニュアンスで使われることが多い。これは、若者たちが面白半分で使い始めたスラングによる誤用だ。
確かに、アスペルガーは空気を読むのが苦手ではあるのだろう。しかし、すべてのアスペルガーがKYなわけではなく、空気を読みすぎることによって苦しんでしまうアスペルガーがいることも、最近少しずつ知られるようになってきた。
とくに、女性アスペルガーは、一般的なアスペルガーの特徴に当てはまらないケースも多く、診断基準すらも女性アスペルガーを見落とす要因になっている。一昔前までは、女性の自閉症などありえない、と風に考えられていたこともあるそうだ。
わたし自身長い間、自分にアスペルガーの傾向があるなんて、1ミリも考えたことがなかった。しかし、女性アスペルガー(アスピー)の特徴やその体験談を読めば読むほど、強い受容感と解放感に満たされるようになった。
アスペルガー(AS)を疑い始めたのはなぜ?
自分がアスペルガーだなんて考えがまったく頭をよぎることのなかったわたしが、なぜアスピーに気づいたのか。それにはいくつもの要因がある。
最初に女性のアスペルガーについて知ったのは「母がストレス!」と思ったら読む本 「アスペルガー母」への対処法という本を読んだことがきっかけだった。もともと母親との関係が悪く、自分ではなく、母親に発達障害の傾向が強く表れているように思えた。
そのときはまさか自分自身もそうだとは思っていなかった。母は誰から見ても「一風変わった人」なので、アスペルガーやADHDの可能性は大いにあると思えた。
しかしその後、自分自身のことにも疑問を抱くようになる。幼いころから思春期にかけては不登校の経験や精神的な疾患があり、とにかく原因不明の生きづらさは常にあった。
ありとあらゆる知識と方法を用いて改善を試みるものの、どこかいつもしっくりこないというか。いつまで努力し続ければよいのか……と途方に暮れることもときどきあった。
具体的には、自分の感情に気づくのが苦手で、喜怒哀楽を感じるタイミングに大きなタイムラグ。これによって人間関係が上手くいかないこと。
加えて、人の話を聞いたり頼みごとを聞くばかりで、自分の要望を伝えられないこと。女性らしい振る舞いやファッション、グループ行動が苦手なこと。自分の中の性自認が常に中立で、男性でも女性でもないと感じること。
周囲の人が使っている言葉の意味と、自分が理解している言葉の意味が違うように感じで悩んでしまうこと。自分が一生懸命調べたり考えたりしたことを周囲に話すと「うん、普通そうでしょ」「だから何?」と言われてしまうこと。
みんなが「あたりまえ」に感じたり、わかったりしていることがなぜかわからない。そしてそれを世紀の大発見のように感じている自分は一体何なのか?と、度々思っていた。
他にも、アスペルガーに関するエピソードは挙げればきりがないほどある。しかし、極めつけは息子の発達障害疑惑だった。
息子が小学生の頃、学校で「発達障害の傾向が強いから検査を受けてみてはどうか」と助言をもらった。それをきっかけに、わたしは発達障害についての知識をさらに深めていくことになる。子どもの発達障害をきっかけに、自分の特性に気づく女性は数知れない。
そして最終的に行き着いたのが、女性のアスペルガー「アスピー」なのだ。
アスピーの豊かなコントラストを知ってほしい
自分をアスピーとして自覚するようになってからは、とても気持ちが楽になった。
そもそも、自分を自分で認めるという行為そのものが、発達障害を持つ人にとって難しいことなのではないかと思う。
白黒はっきり、0か100かの世界を生きているし、こだわりも強い。ルールや決まりと言ったものにこだわるので、曖昧さやグレーを嫌う傾向にある。
生きづらさを解消する方法として「どんな自分でもOKとしてあげましょう」「自分は自分であると認めること」「人には個性があっていい」という声をよく聞いてきた。本当の自分を認めてあげましょう、というような。
でも、わたしはそれらの言葉の意味が根本的によくわからない。本当の自分って?どんな自分でもOKなのに、「人間性」という言葉で人の成熟度を測ることだってある。どこからがOKでどこからはNGなの?自分を受け入れたって、人の中で生きていくにはそれだけではうまくいかないはず……
このような疑問が湧いて溢れてくるので、余計にわけがわからなくなった。もちろん、一時的には「なるほど」と納得することもあるが、結局同じような疑問が湧いてきて考え込んでしまうというループを繰り返していたのだ。
「自分」を認めるにはまず、自分がどのような特徴を持っているのか、どんなことができないのか、どんなことに喜びを感じ、自分を侵された場合にどのような症状が出るのかなど、特性を知らなければ始まらない。この「根拠」の部分がないと正しい判断できないし、先に進むことができない。
アスピーは、どこか漠然と「自分は周囲と違う」という感覚をもっている。それに加えて「共通の認識」や「暗黙の了解」も得意ではない。そんな人が、どうやって「自分」を認識すればよいのだろう。だからこそ、コミュニケーションを司る脳の機能障害によって、一般的な人とは異なる考え方や言動をするのが自分であるという「基盤」を持たせてあげなくてはならないと思う。
この基盤あってこそ「本当の自分」や「どんな自分でもOK」を実行することができるのではないだろうか。
アスピーの体験談を読むと、わたしがこれまでひた隠しにしたかったエピソードと同じような経験をしている人がたくさんいることがわかった。恥ずかしくて誰にも言えなかったこと、こんな行動をするのは自分だけだと思っていたことなどが「女性アスペルガーの体験談」として、世界に存在していた。
そのことを知るだけでも、きっと本当の自分や、自分の特徴を深く理解する材料になるはず。アスピーの程度やタイプは実に様々で、多彩なコントラストがあるので「当てはまる」「当てはまらない」という差も大きい。しかし、アスピーであれば、語られる体験談にどこか心地よさを感じることができると思う。
そんな豊かなコントラストを知ってほしくて、このページを書いている。