わたしは雑談が苦手だ。苦手だけれど、まったくできないことはない。とても下手だし相手に先導してもらうことが多い。どうも雑談には仕事感というか、業務感がある。それは親しい友達や家族でも同じだ。
ここ最近は、時間を埋めるためや、コミュニケーションのための会話をする機会はあまりなかった。しかし、最近仕事のオンラインミーティングなるものの中で雑談をする機会が増えた。おそらくアイスブレイクといって、お互いの緊張感をほぐすためや、距離感を縮めるための会話。
これは、とてもありがたい機会だし大事なものだということはわかる。しかしどうもマイナスの意識がはたらいてしまう。
会話には2種類のかたちがある
会話には2種類の形があると思っている。コミュニケーションのための会話と、会話のためのコミュニケーションだ。
「どっちも同じだろう」と思う人もいるかもしれないが、この2つの会話は目的は大きく違う。
コミュニケーションのための会話
コミュニケーションのための会話とは、相手と仲良くなるためや、緊張をほぐして仲間意識を強めるための会話だ。
目的は、コミュニケーションをとることなので、会話の内容はとくになんでもいい。天気の話だとか、休日何をしていたかとか。
それをきっかけにして、新しい話が生まれたり、互いの距離感が近づいたりする。職場や学校の友達、ご近所で合った人などでは形式的に行うこともある。
会話のためのコミュニケーション
一方、「会話のため」にコミュニケーションをとる、という形もがあると思う。目的は、特定の議題やテーマなどについて語ること。それをするために、コミュニケーションをとる、もしくはコミュニケーション能力をつけたり、工夫したりする場合だ。
この場合、会話も「対話」に近くなると思う。対話とは、2人もしくは少数で向かい合ってじっくり話をすることである。相手と会話すること目的があるので、仲良くなったり親密度を高める必要がない。
たとえば、交流会や意見交換会のような見知らぬ人と話をする場所、仕事の話なんかだとこの形が使われる。
雑談は苦手だけど「対話」は好き
わたしは、雑談は苦手だけれど、誰かと対話するのはとても好きだ。話す議題が決まっている交流会などに参加するときは、スルスルと話すことができる。
しかし、仕事のミーティング中の雑談コミュニケーションでは、何を話したらよいかわからなくなってしまう。聞かれたことには答えるが「あなたはどうですか?」ができない。
雑談ができない理由は「曖昧なものへの苦手さ」
雑談はすべてが曖昧である。そもそも、雑談に苦手意識があったときは「なぜこのような話をするのか?」という目的や理由がわからなかった。
わたしと仲良くなりたいのか、興味があるのか?仕事上必要な情報を得たいのか?
その部分がわからなくて、困惑していた。雑談が日もあれば、ない日もある。他人が自分に話しかけてくる日もあれば、話しかけてこない日もあるという「ランダム」が苦手なのだ。
それに、どれくらいの時間、仕事と関係ない雑談をしてよいのかがイマイチわからない。聞かれたことに、どのくらいの情報量を返せばよいのか。正直に答えていくと、案外相手が話を広げてくれたり笑ったりしてくれる。そうするとわたしの話は長くなる。
ここで「あなたはどうですか?」と聞くべきか。でも聞いたら雑談の時間が長くなってミーティングの時間が押してしまうかもしれない。
こんなことを山ほど考え、頭の中は大パニックだが、顔はいたって無表情だったりするので愛想のない人と思われているかもしれない。雑談は、ルールや目的があまりにも曖昧すぎて、混乱してしまう。
ただ、1人の人と何度もやりとりをすれば、一定のルールや基準が明確になってくる。データを集めて集計して「だいたいこのくらい」という範囲を特定できるようになる。同じ人と、同じ状況で繰り返しせっしていくことで曖昧さを明確にしていくことができる。データベースの活用だ。
ただ、これが3人4人…と複数になったり、イレギュラーな人員が参加したりすることで、これまでのデータが使えなくなってしまう。だからわたしは対話、ではない「コミュニケーションのための会話」はどうも苦手なのだ。
ASDは雑談が苦手…克服法はある?
雑談が苦手な人には、ASD傾向がある場合も多い。わたしが普段雑談をどう乗り切っているかというと、自分なりのルールとパターンを設けている。
たとえば、天気やニュースの話だ。わたしは「何のために雑談をするのか」がわかっていなかったときは、天気やニュースの話なんて誰も興味がないと思って、できなかった思っていた。自分が一切興味がないから、他人もそんな話をされても困るだろうと思っていた。
しかし「コミュニケーションのための会話(距離を縮めるための会話)」なのであれば、天気やニュースの話でもよいのだ、と自分ルールを整理することができた。
また、相手に返すフレーズを用意しておくのもよいと思う。わたしは、何と答えてよいのかわからず固まってしまったり考え込んでしまったりすることがある。
そういうとき、3秒くらい沈黙してしまったらあきらめて「すみません、とっさに思い浮かばなかったです」などと正直に言うようにしている。いろいろ、困ったときのためのパターンを複数用意して乗り切っている。(各パターンでの返しを、どう思われているのかはわからない)
大事なのは「目的は、対話ではない」と認識すること。仲良くなるため、緊張をほぐして打ち解けるための業務だと考えること。そうすれば「相手に少々退屈な思いをさせてもよいし、相手に興味のない話をしてしまってもよい」と、少し自分を許すことができる。
空気を読みすぎて空回りしたり、何も言えなくなるタイプのASDはとくに「空気を読もうとしすぎなくていい」という風に考えることも一つの策かもしれないと思う。
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