わたしにとってひとりの時間はとても大切だ。いちいち「大切」とか言うのがむず痒く感じるくらいに大事だ。眠ったり食事をしたりするくらいに大事で、当たり前のこと。
ただどうしても「ひとりになりたい」と言うと、相手にネガティブな印象を与えてしまうような気がしてすごく言いにくい。
実際に相手を心配させてしまったこともあったと思う。
「何か悩んでいるの?」
「気持ちが病んでいるの?」
「何かあった?」
相手に気を遣わせてしまうというか、要らぬ心配をかけてしまうことがあるのだ。
わたしにとってのひとり時間はただのクリーンアップ
ひとりになりたいと思う感覚というのは「あ~最近お風呂に入ってないから気持ち悪いな」
という感覚とほぼ同じだ。
何かに悩んでいるわけでもないし、何か特別なことがあったわけでもない。自分と向き合う時間が足りていない、とかでもない。
自分の受け入れられる情報量を、周りから発する情報量が超えてしまっているだけなのだ。
わたしは、受け入れられる情報量がもともと多くない。しかし自動的に取り込む情報量は多い。なので、いつも情報(刺激)過多の状態になってしまうのだ。
ここでいう情報や刺激っていったい何のこと?と思うかもしれない。
それは「そこに人がいる」ということ。人が発するものすべてが情報であり、刺激になる。
話し声、足音、何かを触る音、気配など。どうしてもこのような刺激が情報として入ってきてしまうので、脳が疲れる。ただそれだけなのだ。
加えて、集中しているときに話しかけられるとか、独り言なのか話しかけられているのかわからなくて困惑したりする……なんてことも負荷になったりする。家族ならではの、一緒にいる負荷というのは、どんなに関係性が良好でも、必ずあると思う。
ひとりが好きなのは、人に気を遣うから?
「定期的に一人になりたがる人は、人に気を遣っている」という意見もあるだろう。「人といると疲れてしまう」と話せば、大抵の人は「あなたは人に気を遣い過ぎなのよ」と答える。
確かに人と一緒にいる以上、多少気を使ったり考えたりすることが増えるのでそれも一理あるのかもしれない。というか、人といるのに全く気を遣わないのは逆にどうなのか?とさえ思う。
ただ、この考え方を採用していたときは「自分は大事な人にも気を遣ってビクビクしている」と錯覚してしまっていた。
実際はただ情報量が多くて疲れているだけなのに「気を遣いすぎているから疲れるんだ」とか「もっといろんなことを気にしないようにしなくちゃ」と思っていた。わたしはずっとこの錯覚というか、誤解をしてきたのだ。
「わたしは気を遣いすぎているからダメなのだ」「気にしすぎているからダメなのだ」という認知になってしまう。自分にOKを出すことができない。
実際は「情報を多く取り込みすぎる脳」をしているのが原因だった。担当の心理士さん曰く、取り込む情報量が多いので、何に注意を向けるか、どこに焦点を当てるかがわかりにくく、ズレたりする。
そしてそれは思考や観察、トレーニングで補わなければいけないので疲れやすいのだと言われた。
「人に気を遣いすぎている」なんて言葉とは、全く異なる現象のせいで疲れていたのだ。
マインドフルネスな状態とは違うのか?
それなら、マインドフルネスを取り入れてうまく脳を休めればいいのでは。
確かにわたしもマインドフルネスや瞑想を取り入れており、効率的に脳を休めるようにしている。
しかし「ひとりになりたい」と求める感覚と、マインドフルネスで行う「今ここに集中する」という感覚には大きくズレがある。
ひとりになってやることというのは日々の日課、ルーティン、家事、作業、仕事、趣味。なんでもありだ。自分のしたいことだけに注意を向けて、その注意を邪魔されたくないだけ。ひとりの時間に行う作業は、自分と向き合う日記とか、自分との対話なんかじゃなくてもいい。
マインドフルネスのように、今ここに集中して気づきを得るという感覚とはまた全然違うのだ。
ひとりの時間は脳内と生活の整理整頓
わたしにとってひとりの時間は、頭の中だけでなく自分の現実的な生活の整理整頓の両方を兼ねているのだ。
だからこそ、情報を遮断して、負担のかからない状態で、やるべき日々のタスクやルーティンをこなしていく。それがわたしにとっての「ひとりになりたい」なのだ。
ひとりになれる状況でないからといって、ひとりで外出する気にはなれない。ホテルステイをしたってリフレッシュしない。ひとりで旅行して英気を養うのもちょっと違う。
ここでイレギュラーなイベントを入れてはいけないのだ。
「ひとりになりたい」と言ったときに、相手が「疲れているんだね、ストレス溜まっているんだね、じゃあどこか旅行にでも行こうか!」という風に気遣ってくれたりもする。
でもその流れはダメなのだ。
イレギュラーなイベントはたとえ近所の小さなレストランでも嫌だったりする。だから「ひとりになりたい」というのは、とても言いにくいのかもしれない。
自分がわからないとメンテナンスもできない
わたしは自分のこのような性質にやっと気づくことができた。脳や気持ちの問題は目に見えにくい。だから自分が情報過多になっていることも、刺激でいっぱいいっぱいになっていることもわからなかったりする。
すると、突然うつっぽくなったり、急にキレたり泣いたりすることもある。(情報刺激の多さによって起こるASDのメルトダウンは、こちらの記事でも書いている。)
自分のことを全然知らなかったときは、自分をメンテナンスすることもできなかったし、扱い方がわからなかったのだ。
でも、今は「すごく調子が悪い」「イライラする」「ミスばかり連発している」と思ったらまずひとりになって自分の脳や生活全般の整理をする時間がどのくらいあったか、ということを振り返るようにしている。
大抵調子が悪いときは、3日以上ひとりの時間がほとんど持てていない場合が多い。
このように「ひとりの時間」は、自分の体調や心の状態を測るひとつの指標になると思う。