日記

性善説と性悪説を遺伝子から考える

昔、SNS上の質問箱に「性善説と性悪説のどちらを信じていますか?」という質問がきたことがあった。わたしはそのとき、性悪説だと答えたことを思い出す。

しかし、最近は性善説に近い考え方をしていることに気づいた。

性善説とは「人の本質は善である」という考え方。反対に性悪説は「人間の本質は悪である」という考え方だ。

真逆の説のように見えるが、よく考えるとどちらも同じ意味になると考える場合もあるし、両方持っていると考える場合もある。捉え方は人それぞれのようだ。

今日はこの「性善説と性悪説」について考えてみた。

人間の本質は善でも悪でもない?

最近のわたしは確かに「性善説」に近い考え方をしているけれど、もっと深いところでいうと「どちらでもない」に落ち着いていると思う。

わたしは基本的に、世の中には根っからの悪人などいないと思っている。仮に犯罪者であっても、何らかの事情によってそうなった「結果」だと思う。ニュースや事件に感情移入はあまりしない方だ。

善人として生きている人は、善人であろうと努力しているのだと思う(これは自分が「善人でいなければいけない(そうありたい)」と強く思っているからかもしれない)

人間、生まれたときは一枚の画用紙であり、それが外的な要因でいろんな色や模様で埋められていく。

さまざまな色は混じり合うが、善の人は美しいグラデーションであり、悪の人は暗く淀んだ色になっているようなイメージ。

その色は、やり方次第で美しく変えることはできる。でも、真っ黒になって絵の具がバリバリに乾いてしまったらもう修正が効かない……そんな感じだろうか。

もともと持っている素質・遺伝子

ただこの色のイメージの「画用紙」にあたる部分の色は、わたしたちの意志では決められない。最初から白の人もいれば、赤の人も、青の人もいるというように。

生物はみな、単体で存在しているわけではない。必ず親から受け継いだ遺伝子をもっている。この遺伝子には、善も悪もないのではないか。

たとえば、不倫は世間で「悪」ということになっているが、不倫には遺伝子が関係しているともいわれる。

アルギニンバソプレシン(AVP)の受容体の多型によって、伴侶に添い遂げることができるか、そうでないかが分かれるという。AVPは単なる脳内物質。脳科学者の中野信子氏は『AVPは“弱者に向ける愛情のこと”だと思えばよい』と語る。

もっと簡単にいえば、AVPは自分より弱いものをどれだけ大事にできるかを決めている。これは「人に優しくしなさい」「他人を思いやって行動の分別をつけなさい」という教えや、それに沿った自身の心がけによってなされることだと思いがち。

しかし、実はもともと持っている遺伝子が決定している部分も大いにあるのだという。

わたしはこの話を聞くと、性善説も性悪説もどちらでもないと感じる。

たとえばこのAVP受容体の多型の人。その遺伝子を持って生まれたことが果たして悪なのかというとそんなことはないはず。しかし、悪ではない=善である、というわけでもない。

つまり、悪でも善でもない。

感情を抜きにして、人間を「生物」と捉えれば、善や悪で語れるものではないのかもしれない。

本当に「善」や「悪」はないのか?

遺伝子に全も悪もないかを考えてみると、一概にそうとはいえない気もしてくる。サイコパスの遺伝は80%を超えるという話もあるくらいだから、どうにもならない問題はあるだろう。

しかし、もともと持っている遺伝子の影響を、後天的に変えることができるのはわかっている。

「エピジェネティクス」だ。

近年の科学研究では、親が経験したことや、親の記憶が子供に遺伝するという研究結果が出ている。

本来持っている能力や機能といった基本的な構造だけでなく「経験」という後天的なものも遺伝することがわかっている。

さらに環境によって後天的に、遺伝子のスイッチをオンにしたりオフにしたりできることもわかっているのだ。この遺伝子のスイッチの切り替えのことをエピジェネティクスと呼ぶ。

たとえばメスの働きバチと女王バチは全く同じ遺伝子をもっているが、幼少の頃にローヤルゼリーを食べたハチだけが女王バチになることができるという。

環境によって、女王遺伝子のスイッチがオンになるということ。

たとえ不倫遺伝子をもっていても、それがオンになるかオフになるかは後天的な環境の影響なのかもしれない。自閉症の症状が突然発症することだってある。これは何らかの環境要因で、遺伝情報がオンになった場合に起こるといわれている。

結局、親や先代の影響を今のわたしたちが受けつぎ、それによって今の世の中で「善」になったり「悪」になったりしている。親の元から離れたあとに「自分の力で、自分をどうしたいか」を考えるのが、その人の人生なのだろうな、と思った。

環境がわたしたちに与える影響

人間の一生を、遺伝子要因を踏まえて考える中で「人には善も悪もない」という部分に着地した。

後天的な部分の意識付けや行動によって後天的に遺伝子スイッチが切り替わることもあるのだ、ということを思い出した。

わたしの結論としては「人間の本質は善でも悪でもない。善になるか悪になるかは後天的なもの」ということになった。少なくとも「悪」ではないような気がしているので、どちらかといえば性善説を信じているのかもしれないな。

すべての人が善から始まっているわけではないし、悪から始まっているわけでもない。そして、今どのような世界を展開しているのかも、見えないし、わからない。

でも確実にその人それぞれの「道」や「世界」が広がっているのだろうな、と思った。

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参考記事:女王バチへの分化を誘導する因子ロイヤラクチンの発見

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