わたしには、前々からずっと疑問だったことがある。それは「なぜ自分はこれほどまでに親や家庭環境の影響を受けてしまったのか」ということ。
この人生で最初に、はっきりとした「生きづらさ」を認識したのは小学校高学年から中学生にかけてのころだった。
小学生の頃は、ランドセルに盗聴器が仕掛けられているのではないかと不安だった。中学生になると、家の玄関を開けるときには深呼吸が必要だった。
わたしの子ども時代は、いつ母が怒り狂い出すのかわからないこと、いつ両親が揉めごとを起こすかわからない、という不安と共にあった。
家庭環境はお世辞にも良いとは言えなかったし、親子関係に歪みがあった。母は何事にも一生懸命だったけれど、空回りしてしまったり、突然怒り出したり泣いたりする。
わたしとはタイプが異なるものの、同じようにASDやADHDの特徴が垣間見られ、父親もASD傾向がある。発達障害と虐待、機能不全家庭は関連性があることはよくいわれることでもある。
なぜ、わたしはこんなに弱いのか?
自分の育ってきた家庭に疑問や憤りを感じる中で、わたしは心理学や精神医学に興味を持った。興味を持っただけで、大学でその道を目指したわけでも研究者でもない。ただひたすらに本を読んで考え続けるだけだ。
心の理論を知ることで、自分の傷が癒えていったり、人としての教養を以前よりはだいぶ身に付けることができたと思う。でも、どうも最後まで納得できないことがあった。
それは「なぜ、過酷な環境で育っても、心を病まない人がいるのか」「劣悪な環境に育ちがならものびのびと生きている人達がいるのはなぜなのか」ということだった。
心の理論では、好ましくない親に育てられたり、機能不全家族に育つことは、愛着障害や各種の精神疾患、パーソナリティ障害などの一因だとされている。
障害や病気がなくても、なんとなく生きづらい、満たされないといった気持ちを抱え、人生の中で力を発揮できない人もたくさんいる。
ただ、この世の中には、環境の影響に関係なく「のびのびと生きている人と、そうでない人」の違いが明確に存在するように思えた。
自分はといえば、後者のほうだ。ビクビクしやすく不安や焦りからの失敗が多い。それによってすぐに落ち込んだり自尊心が低くなる、メンタルの弱いタイプ……という感じだった。
この違いは何なのかを、ずっと知りたかった。でも、なかなか答えが出ず「自分は弱い」「甘えている」「いつまでも昔の傷を引きずっていることが情けない」と、さらに自分を責めるばかりだった。
心の問題は「幼少期の親の影響」とされる
さまざまな心の問題は、「幼少期の親子関係」は背景にあるとよくいわれる。インナーチャイルドを癒すとか、親子関係を振り返って自分を認めてあげましょう……という助言が、必ずと言っていいほど出てくる。
わたしはここにぶち当たるたびに「またそれか」と思ってしまうのだった。
自分の経験上、インナーチャイルドの深堀や、心の傷を見つめ直すことは、ほんの少しでよいと思っている。心の傷に気づいたら、そこでしっかり感情を出したり、気持ちの整理をする。(方法は自己流でも医学療法でも何でもよいと思う)
しかし、自分なりに努力しても、なかなか生きづらい現状が変わらないことがある。
すると人は、何度も何度も昔の傷を繰り返しほじくり返しがちになる。心の傷は繰り返しほじくっても、現状に対して劇的な回復効果が得られないこともあると思う。
むしろ、傷がえぐれて悪化し、痕に残る。身体の怪我と同じように、むやみにいじることで傷の治りは遅くなるのだ。
ただ、そのことに気づいても、なんだか毎日がしんどいのは変わらなくて「一体わたしはどうすればよいのだろう?」と八方ふさがりになったのだ。
機能不全家庭に育った人、いわゆるAC(アダルトチルドレン)は、結局どこまでいっても心が弱くて自信がなくて、落ち込みやすく気分の浮き沈みが激しく、些細なことで感情が乱れるのだろうか。
でも、世の中には虐待やネグレクトで育っても、それなりに強く朗らかに生きている人がいる。この違いとは何か。
変異遺伝子と「蘭の子どもたち」
わたしはその答えを「刺激過敏遺伝子」であるDRD4遺伝子の存在を知ることで解決できた。ここでは難しい話はしないが、このDRD4遺伝子には「7R版」という変異遺伝子が存在する。
この変異型である7R版をもっている人は、脳のドーパミンに対する感受性が低い。つまり、ドーパミンを適切なバランスで保つのが難しい。7R版は、うつ・不安・癇癪・ADHD・ASD・LD・片頭痛・強迫的行動などとの関連性が多くの研究で報告されている。(出典:自閉症の脳を読み解く|どのように考え、感じているのか/テンプル・グランディン著)
つまり、通常の「DRD4」の遺伝子を持つ人は、家庭環境や親の影響をそこまで大きく受けない。しかし、DRD4‐7Rの変異遺伝子を持つ人は、家庭環境や親の影響を強く受けてしまう。その結果、先に挙げたようなうつ・不安・各種発達障害や体の不調などさまざまな不具合を引き起こすということだ。
自分がこの変異遺伝子をもっているかどうかまでは、調べていないのでわからない。でも、この遺伝子に関する情報を目にして「まさしくわたしが求めてきた情報だ」と実感した。
蘭の子どもたちとは?
この本の中で著者は、7Rの変異型をもっている人は「蘭の子どもたち」だと語っている。
蘭の花はとてもデリケートで、成育環境や世話の仕方によっては簡単に枯れる。環境次第で大きく花を咲かせることもあれば、逆に根腐れを起こしてしまう。「どちらのパターンにもなりやすい」ということだろう。
一方、通常のDRD4遺伝子を持つ人は「たんぽぽの子どもたち」と表現されている。どんな環境に置かれても、のびのびと育つ環境耐性をもっているのだ。
わたしがずっと疑問に思ってきた「逆境の影響をはねのけてのびのび強く生きる人たち」と「逆境の影響を強く受けて長年影響を引きずり続けてしまう人たち」の違いは、遺伝子にあったのだと、自分の中で結論付けることができた。
ASDのスイッチを押してしまった?
わたしは自分のことについて「親や家庭環境が、ASDのスイッチを押してしまった」と考えることにした。わたしはASDの特徴を多少はもっていても、それほど深刻なものではなかった。だからこそ誰も気づかなかったのではないか。
精神分析学者ブルーノ・ベッテルハイムは“自閉症になる遺伝的要素を持っていて、親が子どもを虐待すると表れる”という説を唱えているようだ。
虐待を受けている場合、ASDだけでなくHSPや恐れ・回避型の愛着障害など他の特徴とも似たような傾向を示すことがある。これらは混同しやすいが、わたしがそれをどのようにわけているかは、また別の機会に詳しく書こうと思う。
わたしの場合は、そもそも母親に発達障害の傾向があると思ったときから、自分自身の発達の答え合わせが始まっているし、機能不全家族と発達障害の関係は深い。
とすると、やはりもともと遺伝要因をもっていて、それが環境によって発症した、環境がスイッチを切り替えた、と考えるのも自然だと思う。
環境の影響の捉え方がまた一つ変わった
わたしは長年探してきた答えが見つかって、またひとつ「育った環境の捉え方」が変わったように思う。
わたしはずっと「自分が親に愛されていたかどうか」について興味がなかった。
「なぜ、今の自分が形成されたのか?」を知りたかったのだ。それは、思春期の頃からずっと変わっていないことにも気づいた。
家庭環境の悪さを責めたいわけでも、親の悪い部分を突きたいわけでもない。自分がこのような人間である、納得のいく理由が欲しいのかもしれない。「心が弱い」「愛された・愛されなかった」という相対的であいまいな概念ではなくて、もっと細かい部分を突き詰めたかったのだと思う。
わからなかったこと、はっきりしなくて不快だったことが一つ明確になってスッキリした。この、頭の中のスッキリした感覚が、明日への生きる糧になっていくような気がしている。
最後に、この記事の内容はあくまでも素人の当事者が勝手に解釈したものであって、専門家の知見や意見ではないことをご承知いただきたいと思う。
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