大人の発達障害

発達障害ドラマ「僕の大好きな妻!」当事者の感想

発達障害の女性を主人公にした「僕の大好きな妻!」のドラマを見ていた。本ドラマは来週で最終回を迎える。

わたしがこのドラマを見ていて、際立って感じたのは

自分自身で発達障害のしんどさをしっかり認められる主人公、そして夫の理解しようという健全な姿勢」だ。

ドラマを通じて最終的に辿り着いたのはやっぱり、幼児期に親から受容されることの重要さ。今回は発達障害を題材にしたこのドラマを見て思ったことを率直に書いていこうと思う。本当は原作を読んでから感想を書きたいのだけど、漫画を読むのが苦手なので今回はドラマの感想として書いていく。

ドラマ「僕の大好きな妻!」知花と悟はまるで親子愛

さて本題。このドラマに登場する知花(ちか)と悟(さとる)は、まるで親子のように見える。

冒頭で書いたように「自分自身で発達障害のしんどさをしっかり認められる主人公、そして夫の理解しようという健全な姿勢」が印象的だ。

この2人は健全な愛情を互いに注ぎ合っている。だからこそ、コミカルに、そしてポップに描くことができるのかもしれない。

もしかすると、ポップなエンターテイメントにするためにダークな部分は切り取っている可能性もある。妻のことを夫が漫画にしたということもあって、ダークな部分を勝手に書くことはできなかったのかも……などなど想像は膨らむ。

もちろんエンターテイメントと現実は異なるのが当然だ。発達障害をコミカルに、ポップに描いているからこそ、一般の人が見やすく、理解しやすくなっているんだろう。

でも、やっぱりこの2人はわたしから見て「健全な親子」のように見える。知花を一生懸命理解しようとする悟はまるで、小さな子どもがどんな世界を見ているのか知りたいと願う親のようだ。

そして、自分を一生懸命愛してくれる親に心配や迷惑をかけまいとしたり、役に立とうとしたり、うれしかったことをあれこれ話して報告する姿はまるで、無条件で愛されていることを疑わない子どものようだ。

悟が知花に向けている目線は、わたしが子どもに向けているものと同じなんだ。「この子が見ている世界」「この子が感じている世界」を必死に知ろうとする。でも、結局それを知ることは一生できないのだと知る。

わたし自身、自分と子どもが別々の人間である以上、お互いの見ている世界や感じていることをすべて知ることはできない。ちょっとだけ交わったり、重なり合うところを見つけて喜んだり、共感したりするだけにすぎないのだと、常々思う。

なんだかこのドラマの2人からは、そんな自分と子どもの親子関係を重ねてしまうのだ。

こんな夫をもって羨ましいと思った

そしてわたしは、このドラマを見ていて度々泣きそうになってしまう。感動してとか、共感して泣くのではなくて「あぁ、わたしもこんな風に受け入れてもらいたい」という切望というか、悔しさというか、複雑な気持ちで喉の奥がぎゅっと締め付けられる。

このドラマでは、悟が「知花はこういうの苦手だったよね」と気遣ったり「もっと知りたい」と迫ったり、発達障害当事者に話を聞きに走ったりするシーンがある。

知花の職場の上司は「苦手なことをリストアップしておいて」と言い、知花がパニックになったらすかさずフォローする……というような描写がある。(もちろん障害や知花の人間性を知ってからのこと)

こんな風に、優しく配慮されたり、理解しようと積極的になってくれる人がいるって、どんな感覚なんだろう。自分の近くに、こんなに自分に関心を持って、心を配ってくれる人がいるって、いったいどんな感じがするんだろう。

わたしも特別扱いをされるのは好きじゃないし、配慮ではなく、そっとしておいてもらいたいことのほうが多いかもしれない。でも、不安になったりパニックになったときにフォローしてくれる人がいたらな……という羨ましさは当然ある。

7月16日放送の第7話では、発達障害であることを周囲にカミングアウトすることや、理解を求めることについて知花が「それって、わたしがやらなきゃいけないことですか」と、声を震わせながら言うシーンがあった

この言葉はとても重かった。

わたしなんて家族にすら、発達障害と診断されたことも、投薬をしていることも話していない。カミングアウトする勇気、理解を求めることにどれだけの勇気と労力がいるだろうか。「だからなに?」「発達障害を言い訳にするの?」なんて言われてしまう想像が頭を駆け巡るんだ。

けっしてわたしの家族はそんな理解のない人ではないんだけど、それでも、打ち明けることはまだできないでいる。もしもそこで理解を得られなければ、そのときこそわたしはもう立ち直れないだろう。

なんで自分が、そこまでしなければいけないのかという知花の言葉はつよく刺さった。

毎日を無事過ごすこと、やるべきことをこなすこと、スケジュールの整理や進捗管理、体調を整えるための工夫、言葉が心臓に突き刺さる感覚に耐えること、聴覚過敏、聞き取りにくさ、忘れてしまった記憶をなんども辿ってなぞること、パニックを静めること、いつ体が動かなくなるのかと不安なこと……

自分のことで精いっぱいだ。

発達障害がメジャーになることのメリット

でもやっぱり、地上波のドラマで発達障害を取り扱うのはとてもプラスなことのように思う。わたしは当事者だし、自分の家族も発達障害傾向が強い。また、周囲にも同じような境遇の人がたまたまいたりする。感覚が似ていたり、わかる部分があるので、同じような特性をもっている人同士が惹かれ合っている部分もあるんだろう。

発達障害がメジャーになることには弊害もあるが、話題として挙げやすくなったりラフに語れる場が増えるのは良いことだと思う。変に深刻にならず「片頭痛持ちなんですよ」「じゃあ雨の日はしんどいですよね」というように、ポップに話せるようになるかもしれない。

ただ、大人になってから発達障害が発覚したり、発達障害のせいでさまざまなマイナスの体験やトラウマをもっていることもあるので、なかなかそう気軽に語れないケースも多いような気がする。

わたしたちの子ども世代が大人になるころには、血液型がA型かB型か、くらいの感覚で発達や心の病気のことを語れる社会になったらいいな……と思ったりもする。

現代のように発達特性が強いことに早く気づけたり、サポートする方法がたくさんあれば、もう少し先の未来では捉え方がもっと変わっているかもしれない。

子ども時代から「この子の見ている世界をちゃんと知りたい」と思って接してもらえる子どもが、もっと増えるといいな。悟が知花に接するように、健全で深い愛情をもらえる子どもがもっと増えるといいなと思う。

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