大人の発達障害

食事もトイレも忘れる過集中ってどんな感じ?ADHD/ASDの過集中とゾーンの違い

ADHDやASDの人は過集中になりやすい。ADHDは集中力が続かないと思われがちだが、興味のあることや好きなことに対しては過剰な集中力を発揮し、何時間でも作業を続けてしまうことがある。

すべてのADHDやASDに過集中があるわけではなく、そうなりやすい傾向があるということだ。

ADHDは集中力が持続しない、気が散ってしまうという特性があるのに、ある場面では「集中しすぎる」とは……なんとも矛盾している。

「過集中」とは

過集中とはその名の通り、過度に集中することをいう。集中力を適度にコントロールするのが難しいために、過剰になってしまうということだ。

何時間もぶっ通しで作業してしまうとか、集中しすぎて周りに意識が向けられなくなるために、困りごとが生じる。

ここでいう作業とは、わたしの場合好きでやっている趣味、仕事、家事などジャンルを問わない。「さぁ集中しよう!」と思って入れるものではなく、気づいたら入っていて止めることができないのが、過集中である。

わたしが過集中してしまう理由

わたしにも過集中の傾向がある。好きなことや興味のあることに没頭し始めると、衣食住のすべてを忘れ、身体の感覚も薄くなる。

なぜ自分は過度に集中するのか考えてみると、気持ちや注意力の切り替えが難しいというのが大きな原因のように思う。

まず「やめられない」という感覚が第一にある。発達障害がある人は、気持ちの切り替えが苦手だ。

「ここまでやったらやめる」「続きはまた明日」というようなことが難しい。

自分の好きなことや興味のあることはとくに過集中しやすいが、仕事でも長文の記事作成などの場合過度に集中してしまう。やりがいを感じていればいるほど、過集中につながる。

「やめることができない」には2つの種類がある。

ひとつは楽しくてやめることができないという感覚。子どもがゲームをなかなかやめられないのと同じで「ここまでやったらやめよう」「やっぱりここまで」「やっぱり最後まで!」というようにずっと引っ張り続けてしまう。

一区切りついたとしても、やめることができないので「次!」「次!」と作業を始めてしまうこともある。

もう一つは、せっかく集中できている状態が失われる怖さだ。

とくに仕事や家事などでは多少「やりたくない」「億劫だ」という気持ちがある。ADHDはとくに、先延ばしをしがちで、ものごとに着手するのが遅い傾向がある。

今せっかく集中できているのを一度やめてしまったら、次に取りかかるときにまた苦しくなることがわかっている。だからやめるのが怖い……という感じだ。

過集中の弊害と困りごと

驚異的な集中力を発揮するのは悪いことではないし、むしろ強みといわれる。しかし、過集中を適度にコントロールできないとさまざまな困りごとや弊害が出てくる。わたしの場合はこんなことに弊害を感じていた。

睡眠・食事・排泄などができなくなる

過集中の状態では、睡眠や食事、排泄などの生理的な欲求さえも感じなくなり、忘れてしまうようになる。わたしも若いころから夜通し作業するのは当たり前だったし、基本的に過集中の最中は食事をしない。

若いころは食事をせずに10時間作業をすることもあった。少し前までは6~7時間、現在は長くても4時間くらいに減った。

朝9時だったのが、気づくと夕方16時になりかけているとか、さっき夜10時だったのに、気づくと朝日が昇っているとか。この間一切の食事も水分補給もしない。

そして過集中の状態だと尿意すら感じなくなるので、わたしはしょっちゅう膀胱炎になってしまう。食事をとらないので不健康に痩せ、栄養も偏ってしまう。

身体の感覚がなくなる

過集中の状態では、身体の感覚がなくなる。眠いとかお腹が空いたとか、喉が渇いたとか、尿意を感じるとか、そういう自分の体の感覚がわからなくなるほど集中してしまうのだ。

そして「疲れ」や「痛み」なども感じなくなる。目が疲れるとか、長時間同じ姿勢できついなどを感じない。

過集中したあと、倒れ込むように眠れればよいのだけれど、身体の感覚が麻痺して、変なテンションになってしまうこともある。

すると一夜漬けで作業して疲れているはずなのに眠ることができず、何十時間もぶっ通しで起きていることもあった。

発達障害があると睡眠や生活習慣が乱れやすく、体調が安定しないことが多い。これには歌集中も大きく影響しているような気がする。

反動で動けなくなる

過集中が終わると、当然体の疲れが一気にやってくる。1日中眠ってしまって使い物にならなくなったり、何日も倦怠感が続いて鬱々としてしまったりと、虚脱状態になることもある。

でも、本人としては「この状態は過集中の反動である」と気づかないことも多い。「この前はあんなに集中していろんなことができたのに、なんで動けなくなったんだ」と真剣に思い悩んでいたりする。

身体の感覚や時間の感覚がおかしくなっていることで、前後のできごとにうまくつながりを持たせて考えることができていないのではないかと思う。

過集中をジャマされると怒りが湧く

わたしは過集中状態のとき、その集中をじゃましてくる要因に対して怒りを感じることがある。

全く周囲の音が聞こえなくなって、呼びかけにも応じなくなるタイプの人もいるが、わたしはそういうことはない。

話しかけられたりすると、持続していた集中力がブチっと切れてしまうのでものすごい不快を感じてしまうのだ。

「過集中とは、ゾーンに入っていることじゃないの?」と思う人もいるかもしれない。

しかし過集中とゾーンは別物だという。ゾーンに入っている場合、周りの声や音などが一切頭に入ってこなくなって、シンとした状態を作り出すことができる

また、突発的なことが起こっても脳をフル回転させて柔軟に応じることができ、最高のパフォーマンスを発揮できる。これがゾーンだ。

しかし、過集中だと周りの声や音は自分の注意力を妨げる雑音でしかない。

さらに突破的なことが起こると集中状態を刺激されてしまうのでイライラしたり混乱したりする。ゾーンのように、最高のパフォーマンスができるわけではまったくないのだ。

過集中との付き合い方

過集中は「集中状態が度を超えてしまう」というだけであって、集中できること自体当然悪いことではない。

むしろわたしは、過集中の状態に強い快感を覚えるので「過集中がしたい」と自ら思うこともある。(できるできないは別として)

しかし体に負荷をかけすぎたり、衣食住や睡眠など最低限のやるべきことを疎かにするのは確かによくないので、自分なりに過集中との付き合い方を模索していっている。

アラームで警告する

過度な集中を避けるには、アラームをかけるしかない。しかし、過集中の最中はアラームに気づかないこともあるし、アラームを無視することもある。

そのため、アラームは「時間通りに動くこと」を目的にせず「集中しすぎに注意」という警告の意味合いで使っている

アラームをつけないと、何時間もぶっ通しで動き続けてしまうから、途中で刺激を入れて「休憩せよ」の意識付けをするような感じだ。

タイマーの時間通りに動くことに捉われなくてよいと思っている。

わたしは適度な休憩のためにポモドーロタイマーを実践することがある。「25分作業して5分休む」の繰り返しでアラームを鳴らし、適度に休憩をとりながら作業するというテクニックだ。

しかしわたしはポモドーロタイマーの通りに作業をやめたり、はじめたりすることができない。自分の意思でタイマーをかけているのにどうしても従えないのは不思議だが、やはり衝動性が勝っているだろう。

ポモドーロタイマーも「ポモドーロタイマーをかけているのは休憩を忘れて没頭しやすい」ことを思い出すためにかけているのであって、決してその通りに動くためではなかったりする。

休憩に何をするか決めておく

わたしは作業と作業の合間に、何をするか決めておくようにしている。休憩中に何をしてよいかわからないと、休憩しないでそのまま作業を続けたくなるからだ。これはASDの決められたルーティンを好むことやあいまいさの苦手からきているような気がする。

わたしが休憩に最適だと思うのは過眠か瞑想の2択。

瞑想や過眠は「休憩」のためだけに存在している事柄だと思う。別のことを考えない、ただひたすら体と脳を休めるためにすることなので、注意や気持ちの切り替えがしやすい。

別のことをしてしまうと、元に戻れなくなる。たとえSNSを見るとか、LINEやメールの返事をするとか、動画やゲームあたりで休憩する人も多いと思う。でも、これをやってしまうと再び作業に戻るのが難しくなって、何時間も休憩を続けてしまう。

ただでさえ頭が取っ散らかりやすいので「作業→瞑想→作業→過眠」のように、余計なことを一切入れない計画を作っておく方がうまくいく。すべてが終わってから好きなことをしないと、時間を無駄に使ってしまう。

好きなことへの過集中は自分への「ご褒美」

好きなことをするとどうしても過集中になってしまう。でも、好きなことに没頭する過集中には無理に休憩を挟んだりしない。好きなだけ没頭してよいことにする。

過集中は快感を得られる部分もある。だからわたしは、好きなことへの過集中は自分への「ご褒美」としてときどき思う存分やってもいいことにしているのだ。

自分ひとりだけの状況を作って、邪魔が絶対に入らないようにして、過集中が終わったあとは思う存分眠って疲労回復できるようにしておく。万全の準備をして、過集中に入っても大丈夫なようにする。

大変な仕事を終えた自分に「甘いものをいっぱい食べてもいい」というご褒美を与えるのとおなじような感じだ

ただそれはつまり、過集中には依存性があるということでもある。あまりにやりすぎるとまた日常が疎かになったり、身体に負担をかけることになるので注意しなければならない。

過集中は「自分の思うままに行動する時間」でもある

過集中は弊害もあるが、思う存分過集中すると一種の快感を得られる。(一時的なのかもしれないが)

経験のある人ならわかると思うが、どんなに体が疲れてもお腹が空いても、それを感じないくらいに何かに集中しているというのは「エンドルフィン」が出ている可能性がある。

それが快感につながるのだ。

だからやっぱり、集中も過度になると甘い物やお酒と一緒の働きをするのかもしれない。

ゾーンやフロー状態と「過集中」は別のものだが、邪魔の入らない過集中はとても快感なのでやめられない。ただ、完全にやめる必要もないし、その驚異的な集中によって何かが生まれたり、何かを達成できることもあるのだ。

自分の体や日常を壊さないために、ちょっと気を付けるだけでも上手に付き合えるようになる。わたし自身、過集中への欲求とうまく付き合っていくためのアイデアと工夫の繰り返しを実践していていこうと思う。

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