大人の発達障害

朝起きられない本当の理由は?意識は起きる時間まで決めている

発達障害をもつ人やその傾向がある人は、朝が苦手な人が多いといわれる。わたしもそのうちの一人だ。

朝起きられない理由は「自律神経」や「睡眠の質」などといわれている。物理的にそれは確かなことだろう。

しかしわたしは自分の体感的に、朝起きられない本当の理由は「新しい1日への不安」だと思う。

楽しみにしていた遠足の日、子どもが自分で朝早く勝手に起きてくることがある。仕事の日はギリギリまで寝床から出ない人が、趣味の朝釣りに行くときはスッと目覚められたりする。

つまり「新しい1日をどれだけ楽しみにするか」や「新しい1日の不安をどれだけ取り除くか」が、早起きのヒケツなのではないかと思う。

もちろん万人に共通するわけではないと思うので、わたしの感覚の備忘録として書いておこうと思う。

朝起きた瞬間から不安だった

わたしは1~2年ほど前まで、朝起きた瞬間が一番不安だった。昨日の続きを生きているはずなのに、なぜかすべてがリセットされて、見ず知らずの異国に飛んできてしまったかのような感覚で目覚めていたのだ。

このような漠然とした不安を抱えながらも、行動を起こしていく。また混沌とした1日が始まる。わからないことだらけ、不安なことだらけの1日が始まる。

活動を初めて少しずつ「昨日の続きを生きているのだ」ということがわかってきて、普段通りの日常に入っていく。そんな感じがしていた。

そんなんだから、わたしは朝がとても苦手だった。

起きられないことはないけれど「起きなければ」「まずい」という不安や危機感で目覚めるので、朝のスタートは非常にバタバタとしていて余裕がない。そのせいでミスや失敗が増え、さらに不安が高まりイライラして……という悪循環に陥っていたことも。

夜早く眠ったからといって、朝早く起きられるわけではなかった。寝つきをよくするストレッチをするとか、しっかり湯船に入るとか、そういう対処法はできる限り試していた。それでも、寝起きは悪い。

しかし、昔から常に朝が苦手だっただろうか……と考えてみると、そうではなかった時期もあったことに気づく。

それは中学生の頃。わたしは中学1年から2年生までの間、学校が大好きだった。学校は自分にとって羽を伸ばせる場所だった。朝6時に家を出て、夕方18時まで学校にいるという生活をしていた。

あのとき、わたしは毎日朝5時に起きていたのだ。

もちろん、ストレスがなかったわけではない。中学生というのはホルモンバランスのせいでイライラするし、人間関係も複雑だ。勉強だって大変になってくる時期。

それでも、学校に行くことだけが楽しみだったあの頃、わたしは、両親に起こされたこともなければ遅刻したこともなかった。早く起きすぎて、時間を持て余していたことの方が多い。

しかし、いつしか学校が憩いの場所でなくなったころから、朝起きられなくなり、学校に行くことすらやめてしまった。

おそらく、学校が好きな場所でなくなったために、新しい1日の「目的」を見失ったのだろう。

新しい1日に能動的でポジティブな目的があるか

朝起きられない本当の理由は、新しい1日に能動的でポジティブな目的があるかどうかにかかっているような気がしてならない

わたしは普段は、早起きできる日の方が少ない。

「明日は早く起きよう」と思っても、計画していた時間に起きられないことの方が多い。アラームをセットしても、ズルズルとスヌーズをかけて1時間半くらい引き延ばすこともある。

前日の夜は「朝起きたらこれをやってあれをやって……余裕をもって行動しよう」と頭で考えている。しかし、実際は起きられない。この繰り返しだ。

前日の夜に頭で考えている計画は、自分が心から望んだことではなく「せねばならぬ」「こうあるべき」で考えている、受動的な目的だからなのだと思う。

それがたとえ「朝早く起きて、ゆっくりお茶を飲む」という一見ポジティブで有意義な目的だったとしても、それを自分が本心からやりたいと思っていなければ、予定した時間には起きられない

「朝日を見に行こう」

子どもたちが夏休みの間「お母さん、明日朝日を見に行くから、一緒に行く?」と誘いを受けた。

行先は徒歩3分の海。小学生と中学生なので「ふたりで行って来たら?」と思ったのだけど、なんだかわたしも一緒に行きたくなって誘いに乗ることにした。

するとどうだろう。わたしは毎日のように朝5時に起きられる。前日深夜1時まで起きていても、5時に起きられる。

あれだけ毎日「朝5時に起きて家事を早く済ませよう」「溜まっている仕事を少し片付けよう」「ひとりでゆっくりお茶を飲もう」と意気込んでいても、起きられなかったのに。

もちろん「他人が関わっていることだから」「子どもたちが心配だから」というのも、あるかもしれない。

しかし、本来行かなくたっていい用事なのに、わざわざ出かけて行くということは「自分が心から楽しみにしている」「心から望んでいるタスク」である証拠。

能動的でポジティブな目的をもつと「朝が得意」「朝に強い」になってしまうのだ

「潜在意識」は起きる時間まで決めている

寝起きは、人の無意識の領域「潜在意識」を引き出しやすくなっている。「早起きして仕事や家事を進めよう」と思ってもできないのは、潜在意識でそれをやりたくないと思っているからだろう。

目が覚めた瞬間「べつに、本当はやりたくないんだよ」という「真の意思」が勝つ。いくら頭で計画を立てても、早起きは三文の徳だと言い聞かせても、潜在意識は正直だ。

とすると、わたしがずっと「朝起きた瞬間が一番不安」と感じていたのは、潜在意識の深い深い思考が、不安や心配、ネガティブな気持ちで染まっていたからかもしれない。

そりゃ、新しい1日に期待や希望など持てるわけがない。新しい1日をこわがって、スタートを踏みとどまっているわけだ。起きられないのは当然だろう。

朝起きられない理由は「意識」にある

この一連の話を簡単にまとめれば「ストレス」で括れるかもしれない。

翌日にストレスのかかる仕事を抱えていれば朝は憂うつだろうし、嫌な気分で眠りにつけば眠りが浅くなったり夢見が悪くなったりして、気分も最悪だろう。

でも「起きられるか起きられないか」はストレスというよりも「意識」だ。

起きられないのは「起きなくても大丈夫」という意識が潜在的に眠っているからだろう。なんとか時間に間に合うように起きることができたとしても、不安や心配で目が覚めるようでは1日の気分は悪い。頭もスッキリせずうまく働かないだろう。

生活を整え、自分の心地よさを追求すること

朝心地よく目覚めたいのならやっぱり「ポジティブで能動的な目的」を一つのメニューとして、朝に組み込むに尽きる。もしそのメニューでも起きられないのなら、それは本当にやりたいことではないのかもしれない。

わたしが「ひとりでゆっくりお茶を飲む」というメニューを計画しても全く起きられなかったのと同じように。

一般的に「生活習慣の見直し」といわれるものは、自分がやりたいことではない。そうするべき、こうあるべきというものであって、自分が本心から望むことではない。だから、続かないのである。

すると、大事なのは生活習慣の見直しではなく「生活習慣の組み換え」なのではないか。

普通は朝しないようなことでも、自分がワクワクするようなメニューを入れてみれば、変わるかもしれない。1日のスタートを、楽しい気持ちで迎えられるかもしれない。希望する時間に、起きられるようになるかもしれない。

そのためには、教科書に沿っているかを見直すのではなく、自由に組み換えることが必要だと思う。

もちろん、毎日好きなことばっかりやっていられないかもしれない。わたし自身、たった数回早起きできただけで「すごい!」と思っているだけだ。

でも「意識がどこまで人の行動に影響しているか」を考えるにはいい材料だったと思う。意識は、人の行動を決めている。その意識を変える工夫さえすれば、自然に行動が変わって楽になっていく。

苦しい努力をせずとも、毎日が少しずつが変わっていくことになるのだ。

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