嫌いな人を目の前にしたときや、相手に対する不快感を抱いたときに、強い拒否反応が出てしまうことはないだろうか。
たとえば、相手が話していることに共感できなかったり、自分が良しとしない振る舞いをしていたりするとき。
嫌いな人への拒絶反応とはたとえば?
ここでいう拒絶反応とは、心理的に拒否しているだけでなく、それが行動に出てしまうことを指す。わたしの場合はこのような感じだ。
- 話を聞かず他のことをしてしまう
- 相手を視界に入れないようにする
- ソワソワして身体が動いてしまう
なかには嫌いな人や人への不快感が強すぎて、その場にいられなくなることもある。
複数人いれば、わたしは会話に参加するのを放棄してしまうことが多い。目線を対象の人から外して、別の作業を始めてしまうこともある。(靴紐を結び直すとか、鞄の中を整理しはじめるとか)
表情や言葉に不快感を出すことはなかなかできない。それがわかっているので、無意識に目線を外したり他のことに注意を向けさせようとして、逃げたがってしまうのだ。
このような反応が出てしまう理由
このような反応が出てしまうのは、まず第一に気持ちが激しく揺れやすいということ。また不快な感情への対処法を身に付けていなかったことが原因だと思っている。
わたし「嫌だ」という気持ちと向き合うのが苦手。とくに対人関係における場面だと、取れる対策も限られてしまうから、どうしても不自然な行動や失礼な態度として見えてしまうこともある。
ひといちばい「嫌だ!」と感じるのに、それをどう処理すればよいかがわからないのだ。もしくは自分が「嫌だ」と感じていることに気づいていない場合もある。気づいていないので、なぜかソワソワしたり、相手の目を見れなくなったりしてしまうのかもしれない。
嫌いな人や、相手への不快感への拒否反応例
嫌いな人を遠巻きに目撃すると、わたしは全力で回避する。冷静になっている今は、相手が嫌いだろうと何だろうと、一言挨拶をしてサッと通り過ぎればなんてことはないのかもしれないと思う。
しかし「嫌い」「こわい」が先行してしまうので、わざわざ遠回りをしたり、隠れるような行動をとってしまうこともある。
遠回りしたり隠れたりしたことが相手にわからなければそれでもいいが、相手にわかってしまうこともある。そうなると相手には余計にマイナスな印象を与えるので、人間関係が悪化しやすい。相手に不快な印象を与えることもある。
また、仕事や活動の中で複数人での会議をしている場面。わたしは苦手な人が発言するときだけ、相槌を打てなかったり、ソワソワして他のことをし出したり、目線を窓の外にやったりしてしまう。もしこれが屋外だった場合、離れたところに逃げてしまう。
自分のそのような姿を、他人がどうおもっているかはまったくわからない。自分の世界にいしか意識が向いていないので、自分が外部からどう見えているかというメタ認知は機能していないのだ。
嘘がつけない性質も関係しているかも
このときわたしが同時に感じるのは「嘘をつけない」という感覚である。嫌いなのに、不快な感覚を抱いているのに、それを隠して穏やかに談笑するのは「嘘」であるという感じがする。
しかし、嫌悪感を相手に向けるのは間違っているということは、重々承知している。
だからこそ、視界に相手を入れないように目線を外したり、別の作業を始めて意識をそらそうとしている。
内心「嫌だ」と思っているのに、そうでないように見せるというか、表と裏の使い分けが難しいのだ。
感情の揺れが激しいと、真向から向き合うことを避ける
わたしは前々から、感情の揺れが激しくその感情に真っ向から向き合うことができない。これが強い拒否反応として出てくることがある。
たとえば、わたしはあるミュージシャンを直視することができない。軽い拒否反応を示してしまう。嫌いだからではなく、感情が揺れに耐えられないからだ。
彼女は自分との共通点が多く、書く歌詞がとても衝撃的である。
わたしは彼女に感情移入するのが嫌で、彼女の姿を直視することができない。彼女の姿も曲も詩も好きだけれど、見ていると感情が揺れすぎるので見ないようにしている。
夫が横でライブ映像を見ていたりすることがときどきあるけれど、わたしは彼女の曲について触れないし、消してほしくてたまらなくなる。
ポジティブな感情の揺れにも耐えられないので、明るいポップソングや応援メッセージのこもったような曲も得意ではない。しかし、ひとりのときは歌ったり踊ったり、泣いたり、自由に感情の揺れを逃がせるし、表現できるので大丈夫だ。
人への拒否反応が強いときは「感じていることを認識する」
結局嫌いな人や不快感への拒否反応は、強い感情の揺れからきている。その揺れに対処する方法さえ身に付ければ、その場をやり過ごすことができるようになると思っている。
「あぁ今すごく嫌な感じがする」
「わたしはこの人が苦手なんだ」
「最悪!不愉快!」
どんな感情でもいいから、今それが自分のなかで起こっているということを見つめる必要がある。すると、感情は時間と共にスッと落ち着いてくるだろう。
感情の法則では、ピークを迎えた感情は、放物線を描いて静かに消失していくものだとされている。
嫌だ・こわい・嫌いという感情を見ないようにしたり、意識を他に向けようとするから、感情がうまく処理できないままになる。
その人が嫌いなことも、不快感を抱いたことも、なかったことにされて振出しに戻ってしまう。この繰り返しをしていたのではないか。
安全な刺激を与える
感情の揺れを自然に収めるためには、軽い刺激を与えることも有効だと思う。
わたしはパニックやメルトダウンを起こすと自己刺激行動が出るが、人前では馴染みの自己刺激行動ができないこともある。
そういうときは、自然に見える方法で感覚刺激を与えてあげるのが有効だ。
- 香りをつけたハンカチのにおいをかぐ
- 腕に輪ゴムをはめてパチパチする
- 安心できるものや布などを触る
- ガムを噛む
などなど。深呼吸や手のひらのマッサージなどが効果的な人もいる。安全な刺激を与える行為はアンガーマネジメントにも有効だと思っている。
「嘘」の目的を考える
そして「嘘がつけない」「表と裏を使い分けられない」という感覚についての対策としては、嘘の目的を考えるのが有効だ。
「嘘ついてる自分が嫌だ!」と思うのではなく
嘘つくのは嫌だけど(感情認識)今はうそをついた方が合理的で最良の方法だからついている(目的や理由)と考えるという方法。
これは、療育支援員やカウンセラーをしている知人から教えてもらった思考方法だ。
嘘をつくのが嫌という感覚から逃げるのではなく、嘘をつくのが嫌という感情を認めたうえで、自分はなぜ嘘をつくのかという目的を明確にする。
対人関係でこれを咄嗟にできるようになるにはトレーニングが必要かもしれないが、この話を聞いたときにわたしはなるほどと膝を打った。
これはわたしもまだまだ身に付いていないので、実践していきたいところだ。
嫌いだと思っていい、不快感を感じてもいいと認めること
自分の感情を認めるのが苦手だったり、自分の感情に気づきにくい人は、その場で咄嗟の対応ができないことも多い。わたしも、頭ではいろいろわかっていても即自的な対応ができなくて困ることも多い。
しかし、後からしっかり振り返って「嫌いだと思っているんだな」「不快だったんだな」と認識してあげる作業は重要だと思う。後からでも感情を認識しておけば、次に同じ状況が起こったときの対策がとりやすくなる。
極論を言えば、拒否反応が出てしまうのもしかたがないことなわけだ。ありきたりかもしれないが「嫌悪感を抱く自分を責めないこと」がいちばん大事なのではと思う。