大人の発達障害

時間の感覚がつかめない|時間へのこだわりとトレーニング方法

1日の計画を立てるには、時間の感覚が絶対必須だと思う。

わたしは1日に1つの予定(目的地は一つ)しか入れられないことが多い。それは「疲れるから」という理由もあるのだけれど、時間区切りの予定を立てるのがとても難しいから、というのも理由のひとつだ。

ASDの時間感覚

ASDは間の感覚がつかみにくいという。ついぼーっとしてしまったり、目の前のことに集中しすぎていつの間にか時間が過ぎてしまったりする。

時間管理が苦手なのはADHDに多いと思われていることもあるが、実際はASDも時間単位での段取りを組むのは苦手なこともあるようだ。

わたしの場合、やはり「時間の感覚がうまくつかめない」ために、段取りを上手く組めないという感覚がある。

たとえば、実際は30分で終わる用事に1時間30分くらい見積もらないと不安だったりする。これは、自分本来の感覚のままでいると(目の前のことに集中してしまうと)時間をすっかり忘れてしまい、大事な用事や肝心なことに間に合わなくなる、時間を守れなくなるという「恐怖感」からきている気がするのだ。

ずっと時間のことばかり考えてしまう

時間の感覚がつかみにくいので、ちょっとでも気を抜いていると必ず遅刻してしまう。

遅刻しないためにどうすべきかを考えるのであれば、時間の逆算は必須だ。

でも、家から駅まで歩いて、電車に乗って、そこからまた少し歩いて目的地まで行くとか、そういうことになるとまるで時間の予定が立てられない。イメージができないという感じがする。

正確には、時間の感覚がわからないので、ずっと時間のことを考えていなくてはいけないという感じだろうか。

わたしはもういい大人である。時間の感覚がつかめないから遅刻してもしょうがない、とは思わない。今日済ませておくべきタスクが何個も重なることだってある。

そうなったときに「何時に家を出ればよくて、何時に次の場所を目指せばよいか」を延々と考えて、結局わからなくて外出をやめてしまうとか、タスクの量を減らすということはしょっちゅうあることだ。

また、時間の感覚に関しての不便は自分が動くときだけではない。

友人が「14時に家に行くね」と言ったとしよう。わたしは約束の時間の15分くらい前からずっと時計に釘づけだ。1分おきに時計を見てしまう。約束の時間を少し遅れたりすれば、ソワソワやきもきして落ち着かない。

友人は「大体10時頃に行く」という意味で「10時に行くね」といったのに、わたしは10時ぴったりに来るものだと思って待ち構えていたりするのだ。

遅刻しないために、時間にこだわる

今日は午前11時に病院を受診する予定があった。それまでの時間はフリーだったので、いくつか済ませておきたい用事があった。今日中にやっつけておきたい仕事を1つ目をとおして、図書館で借りなければいけない本を1冊借りるというタスクを思い浮かべた。

つまり、朝起きてから午前11時までの間に、仕事・図書館・病院到着の3つのタスクが待っていることになる。これは実にハードルが高い。

実際にそれを「計画」しようとすると不安で不安でしかたない。何に、どれくらいの時間がかかるかの見当がつけられないからだ。(ちなみにすべて、馴染みの場所。初見の場所ではない)

ADHDは遅刻魔ともいわれるが、わたしは遅刻をしてしまう恐怖感から時間に強くこだわっている感じがする。「〇時〇分には絶対に家を出ないと!」「〇時〇分に出るためには〇時✕分にはすべての支度が終わっていなければならない!」という恐怖。常に時間が迫ってくる。

「遅刻」という人に迷惑をかける行為を避けるために、自分のこだわりが強まっているのを感じるのだ。

自分ひとりだけのときだったらどうか

今回は11時に「病院」という他人が関わるタスクがあった。では逆に、他人が一切関わらない自分一人だけの予定を立てるのはどうだろう。

自分ひとりで、図書館に行き、喫茶店に寄り、スーパーで買い物をして、15時には帰宅というコースを考えるとする。

時間にこだわると、図書館や喫茶店、スーパーでの「目的」が果たせなくなる。たとえば、じっくり本を選ぶこともできないし、喫茶店でくつろぐこともできない。スーパーでは必ず買い忘れがあるだろう。3分おきに時計を確認しないと気が済まない。

つまり「時間」を意識すれば「目の前のこと」に集中できなくなる。「目の前のこと」に集中すれば、時間の感覚を忘れてしまう。だから結局、いつも焦っていて心が上の空になってしまうか、遅刻するかのどちらかなのだ。

遅刻は社会的信頼を失うこともある。だから、結局いつも焦っていて、時間にこだわり続ける方しか選べない。

あまり外に出かけない理由や、同じルーティンを好むのは、時間の感覚がつかみにくく不安になりやすいのも原因ではないかと思う。

「分刻みで紙に書き出す」という方法もあるが…

分刻みで紙に書き出し、整理すればもう少しマシになる。所要時間を頭の中で考えるのではなく、可視化する方法だ。

昔から、時間計画表を作って時間単位で動くことはとても得意だった。それに、時間ぴったりで動けることは非常に快感でもあった。

でも「一体わたしはどれだけ紙に書かないと暮らせないのか!?」という気持ちになってくることもある。書き出したら書き出したで、その通りに動けないとストレスが溜まる。時間に捕らわれているので、結局目の前のことには集中できないだろうし……

別にわたしは、時間通りに動くために生きているわけじゃない。今日1日を楽しく過ごすために生きているのに「どうして3分おきに時計を見なければいけないのか!」時間と怒りが湧いてくる。

マルチタスクの苦手さ?

1日に複数の予定を入れるのは難しい。複数の予定を入れた日は、時間のことばかり考えているから、忘れ物やミスが増える。そして、ものすごく疲れる。

一つのことしか、考えられないのだ。

結局、時間を適度に気にしながら目の前のことを進める、ということができないのだ。

これはマルチタスクの苦手さが関係しているようにも思える。注意をいくつかの物に分散して、適度にコントロールできない。

時間管理をするなら時間のことしか考えられないし、何か作業をするならその作業のことしか考えられない、というように。もしくは同時進行できたとしても、疲れ果ててそのあとは頭も体も使い者にならなくなるとか。

時間間隔のトレーニング

「今日は1日ここにいていい」とか「今日は1日誰かと一緒に行動していれば大丈夫」とか、そういう状態にしておけば、目の前のことに集中できる。

でもそれでは成長がないし、そうもいかないときもある。

そこで有用なのが、時間感覚のトレーニングだ。方法はとっても簡単で、自分が想定した時間と、実際にかかった時間の差が±どれくらいあるのかを調べていくこと。

わたしは時間を多く見積もりすぎることが多い。逆に、時間を短く見積もりすぎる人もいるだろう。

発達障害の人にアラームは必須と言われるが、わたしはストップウォッチも必要だと思う。わたしは1冊の絵本を読むのに「20分近くかかったかな」と思ったのに実際は8分だったなんてこともある。小さなことでも時間をはかって、体感時間と実際の時間の差を埋めていくのは良い方法だと思う。

移動時間は、Googleマップの移動手段を徒歩にして、大体の時間を割り出せばおおよその時間もわかる。便利な時代である。

時間の感覚については、わたし自身今後の課題である。仕事でも「この仕事どれくらいの日数でできますか?」をと聞かれることがあるのだけど「やってみないとわかりません」しか言えないことが多くて困るのだ。

とても面倒だし、不安も多いけど、一つずつやっていこう。いろんな感覚がつかめてくると「なるほど!」「そうだったのか」という発見や感動さえ得られることもある。

なにより、わからなかったことが「わかる」ようになるのは、どんな人でも快感だと思うのだ。

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