ASDの特徴で、何にいちばん困っているかというと、やはりそれは易刺激性(いしげきせい)だ。
易刺激性とは、イライラして怒りっぽく、不快感情に飲み込まれてしまうような感覚。些細な刺激も怒りの元になり、ときには暴言を吐いたり暴力をふるってしまうことがある。
わたしは生まれてこのかた、ずっとASDの易刺激性に苦しんできたといっても過言ではない。
母の易刺激性と虐待
わたしは、実の母に虐待を受けていたことがある。そして、母もまた同じように祖母から虐待を受けていた。わたしの母は、スイッチが入ると人格が変わったように暴言を吐き、衝動的に暴力をふるった。
わたしはそれに大パニックを起こして、ふたりして泣き喚くということが日常茶飯事に行われていた。わたしはあの様子を虐待だと思っていたが、解像度をもっともっと高くしていくとあれは発達障害の易刺激性によるものだと思う。
普段は明るくておもしろおかしい母親だったが、ストレスや疲労が溜まっているときや、わたしのちょっとした言動が母の何かのスイッチを押してしまうようだった。
おそらくあれは、母が神経過敏状態のときか、あるいは母のこだわりをわたしが刺激したときだったと思う。
ASDをもつ人は、ありえないような暴言を吐いたり、暴れたりすることがあるというのは有名な話だろう。母自身、わたしが憎かったわけでも、わたしを愛せなかったわけでもない。
しかし、突然怒り出して、まるでヤクザのようになってしまう。別人格が乗り移ったかのようになる。「なぜかわからないけど、自分を止めることができない」という感じだったそうだ。
しかし当然ながら、わたしは母が発達障害の要素をもっていることなど知る由もなかったし、母自身もわからなかった。ただわたしはずっと「何かおかしい」「虐待というにはどうもしっくりこない」という気はしていた。
行為そのものは虐待にあたるのだが、そこにはちゃんと愛があったし、親子の楽しい時間もあった。ニュースで見るような悲惨な虐待とは一線を画しているような気がしていたのだ。
わたしの易刺激性
一方、わたしにも易刺激性があった。特定の状況になると、激しくイライラして涙が止まらない。家族の声も聞こえなくなる。「何があったのか」「どうしたいのか」などを言葉にすることすらできない。
ただただ泣いて怒りながら、こだわりを遂行したり、部屋に閉じこもったりするのだ。
しかし、ほとぼりが冷めればその過剰なイライラや怒りはおさまる。さっきまでの人格は誰だったのだろう?と思うほど。一時は、解離性障害のようなもので別人格になってしまっているのかと疑うほどの落差がある。
これには、若いころから一緒に暮らしている夫も辟易している。いつわたしの人格が変わるのか、いつわたしが怒り出すのかわからない。ビクビクしながらの生活。これはずっと指摘されていて、自分でも困っていたのでいろいろ解決しようと自助努力をした。しかし、ほとんど効果がなかった。
わたしは、母親の易刺激性にトラウマがある。だから、絶対に他人に暴言を吐いたり、手を上げたりするまいと思ってきた。でも、易刺激性は抑えることができない。だから、自傷行為に走ったり部屋に閉じこもるなどの手段をとっていた。
しかし、それでも人と接しながら生きている以上、完全に影響を与えないようにすることなど無理だった。
わたしはスイッチが入ると、人のやることなすことすべてに腹が立つ。ちょっと音を立てただけでも怒りが湧く。目の前を人が通るだけでもイライラするのだ。
これは、子どもたちにもさぞかし悪い影響を与えるだろう。そう思って寝室にこもる。でも、なぜ寝室から出られないのかを説明することができない。土下座して謝りたい気持ちと「近寄るな!」という激しい怒りが一度に湧くのだ。
本当にこれが苦しい。わたしはずっと母のこの易刺激性に苦しんできたのに、同じことが自分の身にも起こり、夫や子どもたちに悪影響を及ぼしてしまうなんて。自分が苦しんできたのと同じ思いを、周囲の人にさせてしまっているのだ。
でも、自分の力ではそれをどうすることもできないのだ。
息子の易刺激性
息子にも、わたしや母と同じような易刺激性がある。疲労やストレスが溜まったり、自分のこだわりを侵されたりすると、目つきが変わる。ちょっと机が揺れたり、音がしたりするだけで、頭がカーッとなるようだ。
強い口調で弟に詰め寄ってしまう。弟はひるんで黙ったり、無視したり、軽く反発したりするが、どれをされてもさらに怒る。
親に対しても、普通に会話することができなくなる。話は通じないし、冷静さを失う。物を投げたり、そこにあるものを蹴散らしたりすることもある。
おそらく彼も、そんな自分の止められない怒りにとても悲しんでいると思う。本当はそんな風に振舞いたいはずはないのだ。わたしは同じ状況になるので、彼の心の中で何が起こっているのかわかる。
しかし、あの様子は非常に怖い。周りにいる人間はおびえたり、理不尽に責められることに激しい憤りを感じるものだ。すべて理解しているし、この子の親という立場で見ているわたしさえ、接していてつらい。
発達障害と家庭の内側
発達障害は、虐待やDVなどの家庭内での問題との関係性が示唆される。わたしの正直な思いとしては、発達障害の程度が軽い場合、家庭外ではそれなりに自分をコントロールしたり、我慢したり、演じたりすることができる。
でも、そのストレスはどこに行くのかというと、まさしく「家庭内」で爆発するのだと思っている。近しい人、内側の人というのは、甘えが出る部分もある。自分より力のない人をストレスの吐き出し口にしてしまうのは動物の本能でもあるだろう。
「自分より弱いから捌け口にしてもよい」と思っているのではない。脅威がないから、自制が効かなくなるのだ。
しかし、わたしや息子は、せめて「暴言を吐かない」「暴力を振るわない」ことに徹している。そしてその「自制」にも多大なるエネルギーが必要なのだ。
もう、ヘトヘトのボロボロなのだが、周りから見ればただの「不機嫌な人」として映るだろう。身勝手で、ひどい人間に映るのだ。なんてことだ。
自分のせいではないのに、自分と大事な人の関係が壊れていく。
だからこそ、やはり家庭内の問題をしっかり解決していくことが重要だと思っている。医療機関に頼ることもひとつ。支援機関に相談したりカウンセリングを受けたりすることも絶対必要だ。
ちなみに、わたしが発達障害の診断を受けたのも、クリニックに相談しようと思ったのも、すべてこの易刺激性をなんとかするためだった。薬を服用するようになってからは、激しい怒りやイライラ、メルトダウンなども軽くなったと思うし、家族もそれを感じているようだ。
決して自分だけでなんとかしようとしない。虐待や家庭の機能不全を防ぐためにも、適切な支援や手立てを選択できる人が増えて欲しいと思う。