仕事

ポンコツが編集部のリーダーになった話

わたしはずっと、在宅で記事を書く仕事をしてきた。ひとりで黙々と文章を書くだけの仕事。書くだけ……というわけでもないのだけど、人と濃いコミュニケーションをとる必要もなく、アイデアの提案をする必要もない、数字の管理をする必要もなかった。

「真っ白な壁に向かって、文章を書くのが最も向いている仕事」と心理士さんに言われたことを思い出す。

そんなわたしは「自分にはこれしかできない」と思い、ライターの仕事を何年も飽きることなく続けてきた。

しかし今年の春から、以前からお世話になっている編集チームで、記事コンテンツの改善をやってほしいという依頼があった。

最初は、マニュアルを作る仕事から始まった。

よりよい記事を作るために必要なテクニックやノウハウを、マニュアルにする仕事だった。

ライティングのときのように、構成案や指示書があるわけではない。自分が記事づくりにおいて大事だと思うことや、文章を書くにあたって重要だと思っている考え方などを、一からマニュアルにしたためた。

ゼロから何かを作る仕事は正直苦手。時間もけっこうかかってしまった。でも、このころから「わたしが今までずっとやってきたことが、違う形で人の役に立つのかもしれない」という喜びを感じるようになった。

そこから始まって、あれよあれよという間にわたしは編集部のディレクターになった。さらに、現リーダーから先月、編集部の管理をわたしに引き継いでいきたいという話をされた。

つまり、わたしが編集部の管理者、リーダーになるということだ。

不器用な人間でも、場の管理ができるのか

正直、非常に向いていないと思った。できないと思った。

でもわたしは「できません」という返事をしなかった。

なにかをよくしたい・改善したいという前向きな取り組みに対して「責任を取りたくない」という姿勢は好きではない。

とりあえずやってみてから決めようと思った。自分にできるのかどうか実験したいという気持ちもあった。

たぶん、依頼する側は一番合理的な計画として、わたしに依頼をしているはずだと思った。わたしを選んだ理由は、何かしらあるはず。ライティングから構成作成までできるとか、そういう術的なことから、長く所属しているという継続力は評価されたかもしれないと思う。

ただ、本当に苦手なところは苦手。

取引先に送るメールの内容を間違える。作業マニュアルが読めない、頭に入らない。入稿手順を覚えるのに時間がかかり作業に何時間もかかる。話しながら議事録をとれないし、会議しながら資料を探せないなどなど。

時間がかかりすぎるから人より長く仕事をしているかもしれない。

でも、時給の申告は少なくしている。

同じ作業をしても人より時間がかかるのに、その分よけいに報酬をもらうなんてやっぱりできない。ちょっと、損している気もする。

だけど、わたしはこれをお金のためにやっているわけでも、編集部の人のためにやっているのでも、現リーダーのためにやっているのでもない。

自分の実験のためだけにやっているのだ。自分の世界観構築のためにやっているだけ。

リーダー=有能な権力者 ではない

まだわたしのポジションが変わってから2か月しか経っていないので、自分がリーダーとしてどうなのかまったくわからない。管理者としての引継ぎも完了していない。

でも、なんとか回ってはいる。

考えることもやることも増え、数字を意識する機会も増えて責任を感じる。

ときどき「あああわたしは大変なことに手を出してしまった……」と思って怖くなるときもある。

でも、なんとかなっているし、楽しんでもいる。

なんでこんなことができるようになたのか。

それは「できないことを隠さない・人を頼る・よく見せようとしない」という3原則が自然にできるようになったからだ。

話しながら書けないから、議事録は書記係を誰かに頼む。スケジュールの進行管理は別の方の役割として振る。マニュアルから必要な情報を探せないなら、その通りに伝える。

そのときには、正直に「わたしは〇〇の作業が非常に苦手なので」と言って分担してもらう。

チーム内の人だけじゃなく、取引先の方にも自分にミスや抜け漏れがあることをきちんと自覚し、伝え、言葉を添えるようにしている。まぁ、当たり前のことかもしれないんだけど、もうそこは開き直ることにしているんだ。

こうやって自分の至らなさをオープンにしてごまかさないこと、協力や容赦を「お願いする」姿勢などは大事だなと思った。そうやって伝えても、嫌な顔や返事をする人はいない。「ADHDなので」とかそういうカミングアウトではなく「こういう作業が苦手」という風に、その都度伝えて、代案を考えていっている。

まぁでも、周囲の人はなんとも頼りないリーダーだと思うんじゃないかな。もっと適任な人もいるだろう……という思いを頭の隅に置きながらやっている節はある。

優秀と評価されていて、何事も卒なくこなしている人に、まとめ役として接するのもなんだかやりづらい気持ちになったりもする。

でも、そういう人をまとめたり、育てたり、管理したりする立場をちょっとやってみて思ったのは「リーダーというのは優秀な権力者ではないんだ」ということ。

わたしが不器用で、できないことが多々あるからこそ、みんなに役割を持ってもらうことができるなぁと思ったんだ。

役割をお願いするというのは、組織の一員としての所属感を得てもらうことになる。

だから、なんでも卒なくきちんとこなせる人じゃなくて、むしろポンコツなほうがチームの結束感や、士気は上がるんじゃないかなと思った。まぁ、勝手に立てている仮設であり、希望的観測ではあるんだけど。

以前、夫が会社のことで悩んでいたときに、最高のリーダーは何もしないという本を読んだことを思い出した。

リーダーなら優秀でなければいけないとか、こんな自分が人をまとめるなんて無理とか、そういう考えはなくなった。

わたしの役割は「いいコンテンツを作るために、みんなでどうしましょうか?」というファシリテーターなのだと思う。

自分がいかに恵まれているか

でもね、今の会社はほとんどの人が業務委託のフルリモートだからできるんだと思う。連絡もチャットツールだから、毎日挨拶し合うこともないし、雑談もしなくていい。

話しかけるタイミングを伺ったりとか、相手の表情を読んだりとか、そういうことする必要がないから、ストレスがないんだと思う。

打ち合わせはちょっと疲れるけど……週に数時間だったらなんとか乗り切れる。

仕事の話以外は一切しない、そして仕事のことだけ考えればいい。しかも、編集部だからみんな文で何かを伝える技術が高いんだ。だからうまくいっている。

本当に、場所や機会、タイミング、人に恵まれているよなぁと思う。

だって、どれかひとつでも条件が違ったら、わたしはこんな風に貴重な体験をすることはできないんだ。

自分の成長や新しい体験のために、組織で働かせてもらうなんてこと、できない。

本当に、自分は恵まれている。周囲にあるもの、いる人、そして自分がやってきたことに感謝でいっぱいでもある。

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