日記

「相手に変わってもらう」はどこまで有効か

最近、ちょっと気になっていることがあって。

「そういう言い方はやめてもらいたい」という要望を出すのって、どうなんだろう?という話。

とくに気になるのは、子どもが学校で先生にこんなことを言われたとか、こういう返しをされたと悲しんで帰ってきたときに、親はどこまでそれを問題提起する必要があるだろうか、という点。

今の時代は、子どもを傷つけないように、子どもがちゃんと理解できるように、という視点が重視されている。体罰は論外だが、先生が子どもをからかったり、感情的な対応をすることに対して、かなり厳しい目線が向けられるようになった。

確かに、大事なことではある。先生のちょっとした一言で、子どもは傷つく。先生の何気ない表情に不信感を抱いてしまう子もいる。

でもね…それに対して、どこまで保護者が先生に注文をつけるのかというのは別問題ではないかなと思うのだ。

ちょっとした一言、返し方、言葉選びは「人間性」

わたしだって、できれば自分の子が学校で嫌な思いをするのは嫌だ。

でも、現代は「嫌な経験をする」ということを、排除しすぎているような気もする。

子どもが嫌な体験をすること、つらい気持ちを味わうことを避けるために、周囲を変えようと躍起になっているように見える。

たとえば、さっきたまたま目にしたのは「先生、〇〇の教科書忘れました」という申し出に対して、先生が「だから?」と答えるとか「それだけじゃわからないよ」というもの。

先生としては「忘れたから貸してください」なのか「どうしたらいいですか?」なのか、その先まではっきり言えるように……という促しなのかもしれない。

まぁ意図は何にせよ、先生の「言い方」や「返し方」に適切ではないように感じるものがあるという声が多い。

ただ、わたしは、答えの返し方、向ける表情、言葉に選び方というのは、相手の人間性がすべて出ているものであり「その返し方をやめてください」といったところで、何か変わるのかな?という風に思ってしまうんだよね。

ボロボロの家の窓だけを変えても、意味も効果もさしてない……みたいな感じ。

逆に言えば、ちょっと乱暴な言葉遣いをしたとしても、その人が感じていることがわかったり、感覚が似ていたりすると、あまり傷つかなかったり、気にならなかったりすることもある。

つまり、先生相手でも「合わない人間」なだけだと思うんだよね。(たとえ贔屓されてたとしても、好まれなかっただけ)

以前、子どもが学校で担任の先生に「1年生からやりなおしますか?」と言われて嫌だったという話を聞いた。

わたしは個人的にこういう返しは嫌い。「できなければ落第」という脅しだから。

でも、これを「そういう返しはやめてもらえますか?」と、先生に伝えたいという気持ちにはまったくなれない。

なんか、言ったところで意味がない気がしてしまう。

確かに必要な配慮をお願いすることだってあるだろうし、わたしもそうすることはあるさ。でも「人に変わってもらうこと」前提で生きていくってものすごく大変だと思う。

昇華する技術

正直わたしは、学校で嫌な思いをしない日なんてないと思う。先生が変なこと言わなくても、友達にいじわるされるかもしれないし。

あるいは、通りすがりのジジイに怒鳴られることだってある。

塾に行けばそこにも厄介な先生がいて、スポーツをやれば暑苦しいコーチがいて。

バスに乗れば威圧感のある運転手がいて、スーパーに行けばレジ打ちの感じの悪い人がいて。

それが世の中じゃないのかな。

わたしはそういう「ちょっと嫌なことを言ってくるやつ」とか「嫌な態度で接してくるやつ」の話を、自分の中でどう処理できるかというほうが大事な気がしている。

まず、そういうちょっと嫌なやつのことを言葉にしてほしい。こういう言い方ムカつくよねとか、その返しはないよねっていうのを「言っていいんだ」と思ってほしい。

で、それについて家族みんなでしゃべるとか、ネタにするとか、空想のなかで論破したりぶん殴ったりするとか。コンテンツにしちゃうのね。そうやって「昇華する方法」を一緒に模索していきたいと思うんだよね。

これは自発的治癒力「レジリエンス」という能力になっていく。傷つきからの回復や、物事をとらえる柔軟さは、身に着けることができるものだから。

大人が他人との間に入って「こうしないでください、ああしないでください」ってやっていて、いざ高校生・大学生・社会人になったときに、本人はその「ちょっと嫌なやつ」にいちいちぶつかって折れてしまうのか?

「大人なんだから子どもに配慮して」とか、そういうのも難しいと思う。体は大人だけど心は子どもな人だっていっぱいいるし、わたしもそうだし。

さらに、子ども同士だって結構残酷だ。同じカテゴリー間の傷つけ合いのほうが厄介なこともある。

家族間でも、傷つけたり傷ついたりすることは絶対にある。

嫌なことからは逃げていいとか、声を上げていいとかって話も、分からなくはないんだけど……なんか、今の時代、あまりにもそれが過剰な気がしてしまう。キリがない。

わざわざ注意を向けなければスルーしてしまうような小さなことも、掘り起こして問題にして、みんなで騒いで「そうだそうだ!」ってやってる気がする。

ネット上でたくさんの味方をつくるより、目の前の大事なひとりの人とじっくり話すほうがよっぽど重要ではないのかな。

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