人間関係

弱みは「誰にとっての弱み」なのか

弱みとは何か、について考えていてちょっと思うことあったので書き留めておく。

まず、弱みの一般的な定義としては次のようになっている。

①弱いこと、またその程度

②弱いところ、劣っている点。弱点。また、他人に対して後ろめたいと思っているところ

goo辞書

弱みって、何だろう。弱みっていうのは、なんとなく反社会的なことや、不正をイメージしていたが、欠点や弱点のことも弱みというのか。

というより「それは弱みである」というのは、誰が決めることなんだろうという疑問がわいた。

以前わたしは、リアルで付き合いのある人にはじめて「自分が虐待のある家庭で育っている」ということを話した。

それは、どうしてもその話をしなければならなかったからだ。事情を説明するために必要だったから、話した。ただそれだけだった。

でも、相手は、その話についてこう返した。

「話したくないことを話させてしまってごめんね。この話はここで止めさせてもらうね」

正直わたしは、そんな配慮はとくに望んでいなくて、必要であればどこかで話しても構わない。話したくないとも言っていない。材料として使えるのであれば、使ってほしいとさえ思う。もちろん、誰に対しても。

普段は、自分が虐待のある家庭で育った話などしない。する必要性がないからだ。

つまり、わたしにとって「虐待経験」は弱みではなくただの経験のひとつに過ぎない。

しかし、相手からするとそれは「弱み」だったのだろうか。

同じような類の話でいえば、病気や障害だろうか。

どうしてもその話を避けて通れない場面で「病気をもっている」「障害がある」などと打ち明けられた場合、どう返すか。

わたしは「そうなんだ」以外に返答が浮かばない。

確かに、一般的には公にしたくないこと、わざわざ言うのは気が引けるようなことというのはある。でも、それを言わなければならない場面に今出くわしていた場合、それは弱みとは呼ばないのではないか。

もうひとつの考え方としては「弱みは強み」であるということ。

その弱みを出すことによって配慮や同情、気遣いなどを得られることも事実だと思う。

詐欺やだましの手口でもよくあるだろう。

「母親が病気で…」

「生まれた時から不幸続きで…」

「わたしってこんなにかわいそうなの…」

「本当に大変なの」という、一見弱みのように見える強みだ。

波乱万丈な人生などは、完全に強みになることの方が多い。

確かに、本当に苦しい思いをしている人がいるのもわかる。わたしには到底知り得ないようなつらい逆境を生きている人がいるだろう。

でも、何かを得るために、自分の不幸を武器にするケースというのは少なくないと思っている。

わたしはそれが異常に嫌だったので、家族に通院や投薬をしていることも黙っていたんだけど。

だから、自分のハンディを見せることが、相手にとってプラスになるのか、それとも自分にとってプラスになるのか、というのは一回考えたほうがいいのではないかと思う。

まぁそれも、結局自分のハンディがそこまで大きくないからこそいえることなんだろうな。

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