女性のASD

架空の友達「イマジナリーフレンド」は大人にもある

わたしの中には、人格が2つある。これは昔からで、少し前まではそれをA面とB面と呼んでいた。

A面というのは、ふだん人と接するときのベースとなる代表者。B面は、普段は後ろ側に隠れているが、わたしという人間を構成する重要な要素。このAとBを行き来することで、自分のバランスを保っているという認識だ。

しかし、あるドラマでそれを「2つの人格を持つ者」として表現されていたので、とても不思議な感じがした。

このように、複数の人格と会話や相談をしたりすること、別人格が突如交代することを、世間一般的には「病的」なものとして扱うというのはわかっている。

でも、わたしのなかで、AとBが入れ替わるのは普通のこと。しかしこの感覚について深堀して考えたり、表現したりしたことがなかったので、ものすごく気になり始めた。

人格交代しているのか?

わたしのなかのAとBはどんな人間だろうか。

Aは、人と接するときに一番問題を起こしにくい人格として、代表を務めている感じだ。

しかしBはいつも後ろにスタンバイしていて、必要に応じて出てくる。このBが非常に気が強くて、破天荒。口は悪いが、弁が立つ。ただこのBがわたしの代表者として表に出てきては困る。やりすぎてしまうし、物事が円滑かつ穏便に進まないからだ。

で、Cちゃんというのもいる。Cちゃんは登場頻度が少ないが、いきなりぴょーんと表に出てくる。頭の中でAやBに口を出すことはない。AとBは互いに相談や会話をするが、Cちゃんだけは交代して表に出ることしかない。

ただこのBが非常に強気で、主張や衝動性が強い。だからこれをずっと後ろに下げておくと「わたし」が崩れ始めるのだ。だから、ときどき誰もいない部屋で、Bに思う存分しゃべらせてあげる必要がある。

しかし、Bは厄介な存在というわけではない。普段、わたしの代表者を務めているAはBを頼りにしているところがある。Aは、表に出る役として非常に客観的で、お人好しで、温厚な性格をしているから、物事の決断や主張などを苦手とする。そういうときに、Bに相談するのだ。

だから、Bを「しゃべらせてあげる」という以外にも、BからAへの助言やアドバイスを求めることがある。

AとBは正反対の性格をしているので、互いに批判的である。

「そんな風に優しくするからだまされるんだ」とか「そんな風に人を批判してばかりいるといつかバチがあたるぞ」などと、互いの強い特性を指摘し合っている。

ただ、AとBの最終的な目的は一致している。表面的な性格は異なるが、人間性は一致している。だからAとBがケンカして分裂することはないし、AがBにアドバイスを求めた時に、予想を超えるような回答をすることはない。もちろん、Cちゃんの最終目標同じだ。

だから結局、ABCの人格はすべて一致している。それに、それぞれの人格に交代したとしても、その記憶はちゃんとある。確かに「そこでB出てくんなよ」とか「Cちゃん今要らないから」と思うことはあるし、交代ミスで失敗することはある。

でもABCすべてが「わたし」なんだ。つまり、解離性同一症のような人格交代とは明らかに違うことになる。また、自分の中にない答えを言わないので、統合失調症の妄想とも一線を画している。

架空の友達「イマジナリーフレンド」

心理学の領域では、自分の中だけにある架空の友達のことを「イマジナリーフレンド」という。ASDはとくに、空想上の友達を作ることが多いといわれている。

イマジナリーフレンドは「友達」と表現されているけど、わたしの中のABCはその感覚に近い。友達というか仲間というか。RPGゲームで、3人それぞれ違った特性を持つキャラを組み合わせて戦うのと同じだ。

ただ、わたしの中のABCには名前がないし、顔もない。色はうっすらあって、頭の中?空間?のどのあたりにいるかという、漠然とした感覚はある。Bは黒で、自分の右側にいるか、後ろから出てきて右側を通過していく。

そして、わたしはとくにBをすごく頼っていて、実はすごく好きなんだよね。Aが折れそうなときはBが勝手に出てくるが、あとからAに「お前、やりすぎ」とたしなめられたりする。

だからこれは、人格交代ではなくて、イマジナリーフレンドだと思うのがもっともしっくりくると結論づけた。

自分を保つためのポジティブな方法

イマジナリーフレンドは、人格交代に少し似ているから、病的なものと勘違いされやすいと思った。

たとえば、ひとりでしゃべっていたりするし、全然違う人格が出てくると周りは驚くだろうし。でも、わたしとしては、自分の中にある複数の側面を、大きく分割して、それぞれに役割を持たせて、必要に応じて使い分けるという、合理的な方法をとっているだけなんだよね。

一般的には幼少期の数年間に起こりやすい現象で、大人になると消滅するとされているけど、そんなの誰が決めたんだ?って話だと思う。

人によっては、想像上の友達に名前を付けていることもあるだろうし、人形やぬいぐるみなどを相手にしていることもあると思う。

普段はそれをTPOに合わせて抑制することができている。強い情動や衝動によっては、出てほしくないところでBが出てしまうこともあるけど、それはBが出る必要性を感じているから出る、という「判断」でもある。Aを助けるため、という目的があり、大方のコントロールができている。

そして、イマジナリーフレンドは、逆境体験とか精神障害とは関係ないという話もある。すべての人にある現象ではないが、トラウマ体験からの病気や障害でもないということ。

だから、こういう自分の中にある複数の人間との会話や交代などを「病気」として扱われるのは納得がいかないと思うのだ。

イマジナリーフレンドの交代は、周囲からはわからない

わたしは以前、Bが出そうで出そうで、取り押さえるのに必死だったときがあった。友人とその時の話題になったが「なんか積極的だなー!と思った」とは言っていたが、妙な不気味さやイカレた印象は与えなかったようだ。

Bの人格は、外から見てもあまりわからないということ。

おそらく周囲は、わたしの顔、声などの視聴覚の情報で8割を認識しているから「なんかちょっと違うな」くらいにしか思っていない。

でも、わたしのなかではBが8割を占めているから、全然違う自分として振舞ってしまったと感じるわけだ。

ただ、心理学的には、人格=社会的役割と表現されるんだよね。性格=行動様式を意味する。

性格は先天的で、人格は後天的なもの。

じゃあ、BやCは役割を担って後からできたものだから、それは人格になるのかな。

その辺の分類はさておきとして、イマジナリーフレンドは病的なものではなく、むしろ重要性の高い脳の働きだと思った。

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