人間関係

真面目と言われるのが嫌。その理由を深堀してみた

わたしは「真面目」と言われるがとても嫌いだ。

思えば昔からそうだったと思う。自分のエピソードを話したり、何気ない会話の中で、相手から「真面目だね」と言われることが結構多い。

先日も、真面目という言葉に強い引っかかりを感じてしまった。

わたしは週に一度、子どもたちの前で絵本を読むボランティアをしている。子どもたちと本を読み終わったあと、ボランティアに参加するメンバーが別室に集まって振り返りの用紙を書く時間があって、そこでは多少の雑談やコミュニケーションが生まれる。

わたしは用紙を書き終わって、代表の人のところに持って行ったあと、ふーっとため息をついてしまった。ちょっと疲れたんだろう。

すると「どうしたの、アスピーちゃん」と、ひとりの女性が訪ねた。

「今日の絵本はすごく字が小さくて読みづらくて、ちゃんと読めるか心配だったんです。だから昨日から何回も練習したり、本の朗読音源を聞いたりしてたんですけど、それでも読めるか不安だったらから、終わって少しホッとして疲れてしまったんです」と、ありのままを返した。

そしたら、その場にいたひとりの人が「真面目~!」と言った。

真面目……確かにそうなのかもしれないし、真面目というのは誉め言葉で言ったのかもしれないけれど、わたしはやっぱりどこか引っかかってしまうのだった。

真面目という言葉の意味を引っ張ってこよう。

うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。

 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。

goo辞書

完全に善とされる意味を持つのだれど、なぜかわたしは前々から自分のありのままを話したときに「真面目」と形容されることに強く嫌悪を感じてしまうのだ。

コンプレックスを刺激されたのか?

わたしは確かに、根は真面目だと思う。不誠実なことや曲がったことは大嫌いである。

だから、少し破天荒な人やふざけている人に憧れることもあって、会話にエンタメ性を持たせるように創意工夫することもある。

だから、あの人が言った「真面目」という言葉は、合っているし事実なのだ。

真面目過ぎるから、困ることもある。そんなに考えなくてもいいのに、考えてしまう。そこまでプレッシャーを感じる必要などないのに、人一倍の責任感を背負ってしまう。

でも、そんなところに苦しめられているので、結局真面目さは自分の健やかさを「邪魔」をするものになっている側面が強いんだよね。

だから、コンプレックスなのかもしれない。それをストレートに「真面目!」と表現されたことが、嫌だったのかな。

「見下し」「からかい」と捉えがち?

その一方で、もっと正直なことをいうと……わたしはすぐに「見下された」「からかわれた」と思う傾向にある。

とくに真面目とか渋いとか知的とかの形容詞?を使われたときに、違和感を抱くことが多い。

自分が感じていることと、相手の言った言葉とのイメージが一致しないと、激しい不快感を抱く。

あと、理屈ははっきりしていないんだけれど、なんとなく見下されたり、バカにされたり、からかわれているように感じることも多い。

他にもある「カッコイイ」「えらい」なども、言われると嫌な感じがする。もちろん言われる相手や関係性にもよるんだろうけど……でも、イラっとする単語はいくつかある。

あと、ちょっと薄着だったりしたときに「若い」と言われるのも嫌だったな。

なんでだろう。

わからなくてちょっと調べたら、結局自分が自分を見下していて、投影しているからだという情報ばかり出てきた。もっと自分を大事にしましょうとか、もう聞き飽きた。

違うんだよなぁ。わたしは今は自分が好きだし、自信もって生きてるよ。

真面目・えらい・知的、なんていうそんな言葉の範囲内に収まるほど簡単ではない、と思っているのかも。

言葉が通じない世界

たぶん、同じ国に生きて同じ母国語を持っていても、日常的に使う言葉や知っている言葉の範囲が全く違うから、意思疎通ができないんじゃないかなと思う。

やっぱり、違う種なんだろうな。

わたしはもし、わたしのようなエピソードを話しても、真面目だとかどうだとか、一言で形容して大きくリアクションしないもの。

「どれくらい文字が小さいの?見せて」とか「その年でもう目が見えにくいの?」とか、そういう話をすると思うんだよなぁ。

まぁ、一般的なコミュニケーションってこんなものだとわかっていはいるんだけど

「真面目」って言われるのは、本当に嫌だ。

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