最近では、気軽にLINEやらSNSのDMやらで、メッセージが届けられる時代。メッセージツールってときどきちょっと使い方がわからなくなる。とくに、LINEメッセージ。
テキストメッセージって、相手の意図を読み取りにくいなって、常々思う。「そうだよね」「大変だよね」って言ってほしいのか、それとも「わたしに何かをしてほしい」ということなのか「このメッセージに対して、あなたはどう思いますか?」という意味があるのか。複数の可能性をいっぱいいっぱい考えて、疲れてしまう。
確かに対面で、相手に調子を合わせるのも疲れる。でも、テキストメッセージは「じっくり考えてから返事をする」ができる。それはわたしにとってメリットでもあって、反射的にYESを言わないで自分の考えを、考えたままに理路整然と述べることができる。時間的猶予がある。
その分、相手の求めていないことを言ってしまっている自覚はある。わたしの場合、誰かが話を聞いてほしくてメッセージを送ってきても、疑問に思うことを質問攻めにしてしまったりとか「わたしにはそういうことはないなー」と、馬鹿正直に答えて相手の気持ちを汲まない。本来の自分に戻れば戻るほど、人の悩みとか愚痴に共感できない気がする。
返事をしてからちょっとたって、振り返ってから「あぁ、もっと寄り添ってあげればよかったのかもしれない」と思う。でも、わたしとしては質問攻めにすることも、聞かれたことに正直に答えることも、寄り添っていることになるのだと思う。
寄り添うとは、相手の側にいることを指す。別に、相手が欲しい言葉をかけるのが「寄り添い」ではないはずだ、とも思う。
でも、正直にいえば本当の自分でズケズケ言える相手って、あまり関心のない人、心から好きではない人なのかもしれない。嫌われてもいいやって、思える人なのかもしれない。
心から好きな人だったら、やっぱりちょっと、相手に合わせると思う。「本当に好きな人には、本当の自分を見せた方がいい」って意見もあって、それもよくわかるんだけど、実際にそれは難しいと思う。
でも、この「どうでもいい人には自分を見せて、好きな人には合わせてしまう」の理由を知りたいなと思う。
思い当たることはいくつかある。たとえば、相手の喜びが自分の喜びであるという気持ち。好きな人が嬉しそうなら、自分も嬉しいという気持ち。自分の喜びは一人の時間に自由に満たすので、人と一緒のときはほぼ相手に合わせるタイプだ。(ストレス溜めちゃうときもあるけど)
でも、関心のない人や苦手な人に合わせることはできない。できたとしても、ストレスの感じ方が尋常ではない。相手に合わせず自分の素を出しているのか、それとも、若干攻撃的になっているのか、というラインが少し微妙だ。自分では判別がつかないし、それを相手がどう感じているかもわからない。
これは、素の自分を出す(自分への禁止令)や若干の攻撃と、寄り添い(側にいること)を交換しているのかもしれないなって少し思う。ギブ&テイクをしているつもりなのかなと、思った。