「あぁ、なんでわたしは女なんだろう」
物心ついたころから、わたしは自分が女であることをときどき残念に思うことがあった。
男の子たちに混ざるのが好きだったし、男の子の洋服が好きだ。わたしが好きになる有名人やアーティストのほとんどが男性。でも、彼らを女性目線でカッコイイと思ったことがない。抱かれたいとか、恋人になりたいと思ったりは一切しない。
わたしの性自認は「女性でも男性でもある」という両性具有性がある。いわゆるXジェンダーだ。
ASDの女性の中には、性自認が曖昧であったり、女であることに心から納得していないケースがやや多いとされている。性自認が曖昧なのは、ASDだからというわけではない。時代的にも、流動的な性自認を自覚する人は増えている。
しかし、女性のASD当事者の本には、性自認についてのテーマが大きく取り上げられていることが多い。そこで今回はわたしの性自認についてをじっくり話してみようと思う。
わたしの性自認
ここからは、わたしの性自認の移り変わりや感じ方、考え方を時系列の体験談で書いていこうと思う。
幼少期
思い起こせば、幼いころのわたしは「男でも女でもどちらでもない」の無性か不定性のタイプだったように思う。幼少期はヒーローになりきって遊ぶこともあればセーラームーンになりきることもあった。
しかし小学校に上がってから「自分が女だ」ということになんとなく違和感を持つようになる。自分のことを「ぼく」と呼ぶようになった。「わたし」「あたし」などとは、口が裂けても言えなかった。
ぼくという一人称を使うことは、いつからかやめてしまった。誰かに咎められたのかもしれないし、自分から不適切だと思ってやめたのかもしれない。
女の子らしいオシャレやお化粧に興味がなかったわけではない。でもそれを楽しいと思うことがなかなかできず、長続きしない。それよりも熱中したのは、創作系やRPG系のゲーム、PCソフト、工作や絵だった。
周りの女の子がどんなことを話題にしているか、気にしたことがなかった。流行の曲を知らないと言えば友達に「ありえない!」と言われ「教えてあげるから覚えて!さんはい!」と練習させられたこともある。あれはなかなかの屈辱ものだった。
ただ、わたしは物心つく前からクラシックバレエを習っていた。母親の意向であり、わたしの自発的な意思ではない。バレエの世界はほとんどが女の子で構成されていて、その場の雰囲気から衣装まで、何から何までとても女性的だった。わたしはどうも、バレエのあの女性的な雰囲気と、肌の露出が苦手だった。
バレエはわたしの人格の一部になっていたが、バレエの空気感と自分の中にある男性性がうまく結びつかなかったのも、当時の悩みだった。
思春期
思春期に入ってからは「男でも女でもない」から「男でも女でもある」の両性に変化していったように思う。女の子とグループを組むより、男の子と女の子の友達の間をフワフワと渡り歩いていた。
月経や体の変化に違和感や嫌悪感を抱いたことはなかったが、女性らしい下着を見につけることに異常な抵抗を感じ、ボクサーショーツとスポーツブラのセットを買ってもらったことを覚えている。腹筋を鍛えて、割れたお腹を友達に自慢することが楽しみだった。
でも、中学生に上がると、周囲は男女の境目を明確に引き出した。女子は教室の隅に固まって男子の話をする。男子はボール遊びをしに外へ行ったり、昨日のテレビの話をしていたりする。
「なぜわたしは、教室の中で恋の話をしなければいけないのか。本当は外でバスケットボールをしたいのに」と、残念に思った。男子に混ざってバスケットをすることもできたかもしれない。でも、「男子に恋心があるのだ」と思われてしまうのがこわくて、できなかった。
女の子の友達には「あなたはまるで2番目の彼氏のようだ」と言われていたが、わたしには好きな男の子もいたのでレズビアンではなかった。自分は、男でも女でもどっちでもあるのに、なぜかすぐに女子として分類されてしまう……と思っていた。
成人後
わたしは成人する少し前に結婚して、20歳で長男を産んだ。夫とはもともと友達で、なんとなくのなりゆきで結婚したが、それからもう15年近く一緒にいる。
わたしは、結婚や出産を早く済ませたことで「もうわたしは社会的な役割を果たした」と感じている。女であること、女の体に生まれたことを、ツールとして考えられるようになった。これができると、生きるのがとても楽になる。
10代後半から、自分の家庭を作って子どもを設けたいと思っていた。そのためには自分の体を使わなくてはいけないし、女性という社会的立場を最大限に活用するのがよいだろうと思った。2人の息子を産み育て、わたしの「女性としての役割」はもう大方終わったと思っているから、今は生きるのがとても楽だ。
女の体はツールなので、性行為も家事の一環だと思っている。家族機能を円滑にするために必要なタスクだと思っていて、そこに愛の確認とか、気持ちの確かめ合いだとか、そういう意識はさらさらない。(過緊張や感覚過敏でしんどいこともあるが、仕事だと思っていることに変わりはない)
バイセクシャル的要素
女性としての社会的役割がだいたい終わった、と思ったとたん、わたしは「女性を好きになる」という感覚を初めて知った。大人になってから知り合った友人に、恋のような感覚を抱くようになった。それも、おそらく男性が女性に対して抱くだろう感覚。直感的に「あぁ。これは、いわゆる女の子への恋だ」とわかったのだ。
女性を心から「かわいい」と思うことは初めてだった。会えてうれしいのに素っ気なくしてしまった、振り回されてもいいと思った、生まれ変わってわたしが男だったら、この人と結婚したいと思った。
わたしはこの時、人間の性自認というのは、社会的な役割や枠組み、プレッシャーによってかなり規制されているのだと痛感した。哲学者のジュディス・バトラーの「ジェンダーは生まれたときではなく、社会的に構築される」という考えを、人生を通じて体験した気がする。
ASDと第三の性・ジェンダーフルイド
ASD傾向を持つ女性は、性自認があいまいであったり、流動的であったりするケースが多いとされる。無性や両性などの第三の性や、男性と女性を行ったりきたりするジェンダーフルイドは、わたし自身が30年の経過の中でも強く感じていることだった。
わたしたちが幼かった頃のように、今は「女の子らしさ」を押し付けられなくなってきたし、いろいろな考え方が受け入れられる世の中になりつつあって、だいぶ生きやすくなったと感じている人も多いかもしれない。(一方でうらやましさを感じることもあるかもしれないが)
ちなみに、最近は女性性を受け入れられるようになり、少し髪の毛を伸ばしてみたりしている。わたしの場合は2年周期くらいでメインとなる性別が入れ替わるように思う。ここ1年ほどは女性(というか女児かもしれない)に近く、その前の周期では少年、もしくは青年であった。
わたしの場合、年齢や立場といったヒエラルキー概念の理解が難しいため、性別どころか自分の年齢すらも流動的かもしれない。
女性という体は、自然に変わることはない。女性としての社会的役割も、今すぐ完全にフリーダムになるとは思えない。だからこそ、自分の性別は「ツール」としてうまく使う方が楽なのではないか。ASDにとって、わたしたちの周りにあるありとあらゆるものはすべて、システムのツールやパズルのピースなのである。
この思考は、困難や不条理にぶちあたったときに、自分の目標を別の場所に設定し直す「認知再構成」のやり方と似ているかもしれない。昔からさまざまな困難に対処してきた人は、この認知再構築が得意であると思う。ASDの女性に並外れたレジリエンス(乗り越える力)があることにも通じてくる。
とはいえ、ASDはやっぱりなんでもツールとして考える「システム思考」なのだと、本記事を書きながら実感した。
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