アスペルガー(ASD)の人は、人の悪意がわからないとわれる。だまされやすいとか、利用されやすいのもASDの特徴だ。
いじわるされていること、いじられ、おもしろがられていることにも気づかなかったりする。
わたしも人の悪意やいじわるといったものに鈍感なところがある。言葉で傷つくことはあるが、言葉そのものが「悪い言葉」でなければ、相手がどういう意味でそれを言ったのかまで気が回らないのだ。
アスペルガーなわたしの体験談
そもそも悪意とは「悪い感情や見方」のことをいう。意味を調べてみたが、どういうときのことか今さっぱりイメージが湧いていない。ぽっかり穴が開いている。
これまでには人の悪意に気づかなかったり、全然気にしなかったことが何度もあったことに気づく。大抵、問題が大きくなったり、さすがに心が疲弊してボロボロになってから
「あ、利用されていたのかな?」と気づくことが多い。
そんな一連の出来事を人に話すと「なんでそんなことに引っかかるの?」「あの人は最初から要注意だって思ってたよ」なんて言われるのでびっくりする。
小学生の頃
小学生の頃、わたしはおそらく仲の良い女の子にいじわるをされていたようだ。
見下してバカにされていたのだが、女の子は直接的な言葉で攻撃をしない。それに、自分の都合がいいときは楽しくわたしと遊んでくれたから、まさかいじわる心を持っているなんて夢にも思わなかった。
ただ、昨日まで一緒にいたのに今日は他の子とヒソヒソしているとか。仲良しコンビなのに、活動でペアを組むときには別の子に声をかけ、わたしが孤立しても知らんぷり……ということが何度もあった。
でも、わたしはその一切を「いじわる」と感じなかった。「なんか変だな?」と思う、それだけで終わりだ。先生に「他の子と組もうか」と言われても断って、ひとりで行動した。
わたしへの陰口をご丁寧に教えてくれる女の子もいた。でもわたしは、その子に悪意を感じない。
「教えてくれてありがとう」とさえ思った。いい子ぶっているのではなく、本当に。言ってもらわないと自分のことが客観視できなかった。
塾でもある女の子にいじわるされていた。服がダサいだの、持っているCDがジジくさいだの、面と向かっていちいち悪口を言われたが、正直あまり落ち込まなかった。
彼女が言っていることは事実だったし、自分にとってどうでもいい存在の子だったからかもしれない。
しかし、学校での出来事を母親に話すと、母親が学校や習い事の先生に報告していて、大きな騒ぎになることもあった。
自分の知らない間に、気づかないうちに、問題の張本人となっていることがあって、少しそれが苦痛に感じていた。
とにかく、悪意に気づかないか、気にしないタイプだった。
中学生の頃
中学生の頃は、活発な女子として振舞っていた。素行はあまりよくなかったが、わたしは女の子の間で「いじられる」タイプになっていた。
ときどき嫌で感情的に怒ったりするが、わたしが怒ると女の子たちはピタッと動きを止める。
わたしは「あ、なにかヤバいことをしたのか?何が悪かったのかわからない…」と思い「うそだよ~ん」と笑って修正した。
このときの違和感は今でも忘れない。
バカにしていじられる→「嫌だ!」と素直に怒る→みんなが固まる→何がまずかった?→訳も分からず笑って撤回する
この繰り返しをしていた。わたしは次第に「何を言っても結局怒らない人」と認識された。怒っていたんだけど。
自分もそんな立場だったから、もしかしたら「いじる」とは何か、わかっていなかったかもしれない。いじわるされてもその他意を理解できないのであれば、自分も同じことを他人にしていたかも?と考えてしまう。
大人になってからのこと
大人になってからのエピソードは少し重くなるので、詳しく書くのは控えておこうと思う。
でも、新興宗教に入信したり(脱会済み)悪い人達と行動してしまったり、危険なことや厄介なことがいろいろあった。わたしは「言われたとおりにする」という選択肢しかなかったのだ。
断り方やそのタイミング、自分の状況や気持ちを口で話す力がなかった。混乱しているうちに、何かに巻き込まれていた。
わたしは20歳で堅実な今の夫と結婚したので、道を踏み外すことはなかった。夫は、親が子にものを教えるように、世間のマナーやルール、常識などを教えてくれた。
教えてもらっても理解できないこともあったが、子育てや地域活動、夫婦関係を通じて少しずつ身に付いいったし、本を読んでたくさん勉強した。
つい最近も、言葉を言葉のまま受け取っていいように使われてしまうことはある。断ることが難しかったり、相手の意図がわからなくてコントロールされてしまったりすることがある。
人の悪意に巻き込まれないための方法
今は必要最低限の人としか接しないし、接する人を選べる環境にいる。だから、騙されることも利用されることも、いじわるをされることもほとんどなくなった。
でも、自然に反応していたら悪いことに引っかかったり、損をしたりするタイプだということがわかったので、かなり警戒するようにしている。
良くないことに巻き込まれたり、損な役回りにならないためには、それなりの策が必要だ。
経験からパターンを見出す
今までの経験をパターン化して、自分に人付き合いのルールを課すようになった。
たとえば「初対面で褒めてくる人は近づかない」「心配だと言って近寄ってくる人は警戒」「自分のつらさや弱音を言って近づいてくる人には要注意」など。
初対面で褒めちぎってくる人は、こちらに何かしらの見返りを求めていることがある。また「心配だ」といって世話を焼こうとしたりおせっかいをしてくる人も、同じように何か見返りを求めていることがある。
そして、自分のつらい現状や弱音をチラチラ見せてくる人も要注意。
もちろんケースバイケースではあるが、言葉を言葉のまま受け取ると痛い目に合う。最初から拒否するわけではなく「警戒アラーム」を頭の片隅に鳴らしておくという感じだ。
即答しない
ASDは即時的な反応ができないので、嫌なことにも従ってしまったり、あれよあれよと巻き込まれてしまうことがある。ASDをもつ人の中には、感情を即時に認識しにくい「アレキシサイミア」を持っていることもある。わたしもアレキシサイミアの傾向があるので、嫌だと思っていることに気づかず誘いに乗ったりOKの返事をしてしまうこともある。
そのため、即自的な反応はしないようにしている。
「ゆっくり考えてからお返事するので、少しお時間ください」「少し考えてまた連絡するね」というように、相手に待ってもらうようにしている。
時間を置いてダメな話なら、最初から縁がなかったと思うことにしている。
即レスが求められている現代では、これはちょっとハンディになるかもしれないが、これをするようになってから「断れない」「つい従ってしまう」の悩みがなくなった。
人に相談する
これはわたしは今も苦手なのだが、「この話に乗っても大丈夫か?」というのは、第三者にも意見を求めるべきだと思う。
迷ったとき、自分だけで判断するのが不安なときは、ご意見番を頼る方がいい。ただ、ASDは相談が苦手なので、なかなかできないのだけど……
そして、相談相手が「やめといたほうがいい」と言ったら、なるべくその意見を尊重したほうがいいように思う。
とくに女性ASDは、男性からの搾取や性被害に遭いやすいことで知られている。女性のASDはとくに、信頼できるご意見番を見つけておくことも必要かもしれない。
悪意に無頓着なASDは「よいところしか見ない」ともいえる
人の悪意に気づかないASDは、傷ついたり悪いことに巻き込まれやすい。自分の意に反して、人生の汚点を数々作ってしまうこともある。それによって、いつまでも傷が癒えないこともあるだろう。
でも、経験を重ねるうちにだんだん自分の扱い方や、対人関係における安全な反応の仕方がわかってくる。
危険に巻き込まれることもあるので、一概に失敗から学べとも言えないが、通常の人間関係に関しては、失敗データと成功データをひたすら集めて、集計して、パターンを導き出すしかないと思っている。
そして、自分の中に湧くぼんやりした違和感を無視しないこと。良き相談相手を見つけること。
注意が「人の良いところ」に向いているのかも?純粋で素直ともいえる。自分で自分を鼓舞していこう。
関連記事
コメント