日記

頑張っても人と一緒になれない部分を探せ

昔、この先の生き方がわからず、全部中途半端だった時期があった。

最初にそれを感じたのは中学3年生の頃だ。中学3年生になって、進路を考えなければならなくなったとき、わたしは生きていくのが嫌になってしまった。

一般的に、進路というのはどうやって決めることが多いのだろうか。わたしは自分が進みたいと思った道が現実的に(経済的)に難しく、他の道を選択するように促された。

自分だけなかなか進路を決めることができず、進路について書く書類の提出が遅くなっていた。

「どんなことが好きなの?」「何をしているときが楽しいの?」先生や親にそう聞かれ、わたしは「テレビを見ること」と答えた。

するとそこから「テレビ局に入社するのはどうだろう」「ディレクターや放送作家を目指せばいいんじゃない?」という話になり、結果的に地元の県立大学に進むという目標を立てることになった。

周りの大人は喜んだ……というかホッとしていた。進路が決まってよかったね!やりたいことが見つかったんだね!という感じ。きっと、みんなと一緒に将来の夢を描けて、安心したのだろう。

でもわたしはすごく苦しかった。テレビ局に入る?番組制作をする?わたしはテレビを見ていただけで「テレビ番組を作ってみたい!」とは全く思っていなかった。

その後、そんな進路に向けての受験が始まっていく。しかしわたしは途中ですべて投げ出して学校にも行かなくなった。このとき病院では適応障害と診断された。

わたしはこのとき、自分の目指す目標が「中途半端」であることに気づいていた。本当はやりたくない。取ってつけたような理由で決めた進路だということが、強く心に残った。

中途半端でもいいから、とりあえず進学するべきだったのかもしれない。とりあえず勉強しておくべきだったのかもしれない。勉強はやっておいて損はないし、無駄にならないのだから。

しかし当時のわたしは、そういう風には思えなかった。ただそれを言葉で大人に説明することができなかった。

その後17歳で逃げるように実家を出て、18歳で今の夫と結婚した。

夢や希望を描けず、将来が空白だった

10代~20歳にかけての頃、わたしは「夢や希望を描く」というようなことがなかった。将来を想像しても、何も浮かんでこなかった。

「やりたいこと」「学びたいこと」が何も思い描けなかった。

でも、実家を出てしまった以上お金を稼がなければならない。苦しい道を選択していることはよくわかっていた。

しかしわたしができるアルバイトは、飲食店の従業員やコンビニ、スーパーやホームセンターのレジ打ちだけ。もしくは1日8時間の工場勤務。女性だからという理由でできない仕事もあった。

わたしはアルバイトがなかなか続かなかった。

ガヤガヤした場所で長時間働くと、急に朝起きられなくなる。騒がしさで人の声が聞き取れない。同時に複数のことが起こると対応できなくなる。

職場の電話も満足に対応できない。パニックになって泣く。指示がないと動けないので「やる気がない」と見なされ、説教を受けた。

でも、わたしは働きたかった。働きたいのに、働けない。

それなのに、周りからは「働けない」ではなく「働かない」と見られていた。

なんとかお金を稼ぐ方法を探した

わたしはそのうち、なんとか自宅でお金を稼ぐ方法はないかと必死になって探すようになった。そこで見つけたのが、インターネット上の記事を書く仕事だった。

前々から文章を書くことは好きだったし、得意だった。ネットの詩を投稿するサイトに投稿していたり、ブログを書いていたりもした。でも、それが仕事になるとは全く思っていなかった。

最初はお小遣い程度のお金しか稼げなかったけれど、それでもニートよりはマシだと思って必死にやるようになった。

それに加えて、暇に耐えられない性格でもあった。常に何かしていないと苦しくなるタイプ。お金もないので、趣味に講じることもできない。するとやっぱり、内職的なことを選ぶしかない。

そのうち結婚し、子どもが生まれた。子どもが眠った時間を使って、わたしは文章を書いた。「こんな文章何に使うんだろう」と思いながら書いていた。

お金を稼ぐ仕組みも、自分のやっていることがどうやってビジネスに結びついているのかもわからないまま、指示通りに文章を書いた。

しかし、子どもが眠っている間に作業をすると自分が休む時間もとれなくなる。だんだん苦しくなって、一時的にこの仕事を休むことにした。

子どもが3歳になって、もう一度外でアルバイトをはじめた。7件面接を受けて、たった1件だけ受かった職場は、飲食店だった。

もう一度、普通に働くことに挑戦するも、結局続かなかった。ストレスと緊張によって職場で昼食をとることができなかった。体重がどんどん減り、不正出血をするようになった。社長には嫌われ、職場の人と打ち解けることもできなかった。

家では「疲れているのに疲れていないように見せているのがしんどい」と言われてしまい、もういっぱいいっぱいになった。結局いろいろあって、アルバイトは実質クビになった。

アルバイトはクビになったが、お金は必要だった。1ヶ月数千円でも1万円でもいいから、稼がなければならなかった。そこで、わたしはもう一度自宅で文章を書く仕事を探した。

「自分のルーツ」とお金を稼ぐこと

あれから10年。わたしは今も文章を書き続け「働く」ことができるようになった。Webライターの仕事は、将来性を感じない、単価が低い、割に合わないなどの理由でやめる人が多い。

でも、わたしにとってWebライターは「最適な仕事」となった。

ここで思うことは「自分のルーツ」とは何か、ということ。わたしは文章を書くことと、ひとりで黙々と作業をすることが得意だった。

子どものころから、1日何時間でもひとりで過ごすことができた。母が仕事のときは、小学生の頃から朝8時から夕方18時ごろまでひとりで過ごしていた。それを寂しいと思ったことはあまりなかった。ひとりでいくらでも時間を潰すことができた。

そして、昔から作文がやけに評価されていた。適当に書いたものが選ばれたり、文集に載ったりしていた。でも、別に文章を書いて生きていきたいとか、小説家になりたいと思ったことなど一度もなかった。

しかし、社会生活において「あまり頑張らなくてもできること」は、ひとりで作業することと、何かを作ること、文章を書くことだった。

30代になって発達障害の診断を受けることになったが、担当の心理士さんににも今の仕事が最適であるという助言をもらった。

「今のお仕事は、本当に合っていると思います。ただし、真っ白な壁に向かって、ひとりで作業するという条件がありますけどね」

ずっと仕事が続かなかったのは、こんな環境とは真逆のところでばかり働いていたからかもしれない。自分の特性を何にも知らなかったせいもあるだろう。

ようやくここまできて、わたしは自分の中で何かが変わったことに気づき始めた。それは「土台」だ。

わたしは「文章を書く」という土台を固めた。それはおそらく「将来の夢」や「進路」として選ぶべきことだったのかもしれない。わたしがもし、中学生の頃に「文章を極めると飯が食えるかも」と思っていたら、もっと早く成果を出したのかもしれない。

過去のことを思ってもしかたがないが、もっと早く自分の個性に気づきたかったというのは本音である。

個性を伸ばすとは何か?

「得意なことや好きなことを伸ばす」という考え方は正しいが、この言葉だとその本当の意味を理解することができないかもしれない。

個性個性といわれる現代だけれど、個性っていったい何のことなのか、みんなわからなくなっている。

個性とは、好きなことや得意なことではない。

わたしは元々「文章が好き!」「文章を書くのが得意!」と思っていなかった。

なんというか「これだったらできる」「なぜか続く」という感覚の方が合っている。

他の人が簡単にあきらめてしまうことをどれだけ続けているか、他の人ができないことをいとも簡単にやる、ということも「得意なこと」であり自分のルーツなのだと思う。

たとえば「ひとりで黙々と作業し続ける」というのは、大きな強みだ。

わたしの夫は、ひとりで1日机に座っているなんて気がおかしくなると言う。

「人と違うこと」これは武器なのだろう。

わたしはずっと「人と一緒になろう」「普通に働こう」としていた。世の中の8割の人と同じ働き方ができるようになろうとしていた。かろうじて人と一緒になれる部分を無理くり伸ばし、努力して鍛えようと思ってきたんだ。

その行為は、わたしのルーツに反していた。

いくつかのルーツは、決して大きな才能ではない。簡単に見過ごしてしまう、性格や特性のひとつ。

でも、つなぎ合わせるとけっこう長い糸になる。できることや得意なことは、いくつもあるように思えてくる。

それをつなぎ合わせたり、編んだりしてみると、1枚の布になって、人に買ってもらうことができるのだ。

自分の生き方は「どう頑張っても人と一緒にならない部分」にある

もし中学3年生の自分に今会うことができるとしたら、わたしはこう声をかけるだろう。

「どう頑張っても、人と一緒にならない部分をしっかり見なさい。それがあなたの強みであり、生きる道になるから」

どう頑張っても、人と同じにならない部分。それが「個性」なのだ。その部分にちゃんと注目してやること、そしてそれを伸ばすこと。

人と一緒でない部分を消して、隠していたとき、わたしは何もできない人間だった。夢も希望もなければ、自分が食う分の生活費を稼ぐこともできなかった。好きなものや将来の夢もなかった。

しかし、さんざん右往左往して失敗した結果「もうこれしかできない」「人と違くてもいい」というところに辿り着く。

その瞬間から、文章を書くことが「やめられない楽しさ」や「得体の知れない快感」さえ与えてくれるようになったのだ。(もちろん、嫌になることだってあるし飽きたりもするけど)

根源的な部分をしっかり見ること。自分を隠さないこと。

隠されていた部分を掘り起こすこと。

自分のルーツを探ることは、自分の個性を見つけることにつながっていく。昔から人と違っていたことは、本当の自分やこれからの生き方を知る大切な作業になるはずである。

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