女性のASD

ASDのこだわり例|成人女性ASDの場合

ASDの大きな特徴であるこだわり行動、一体どんなものがこだわりなのだろうといまいちピンとこない人もいるのではないだろうか。わたしもASD傾向を自覚する前は「え?これってこだわりだったの?」とびっくりしたり、指摘されて初めて自分のこだわりの強さを自覚した。

自分のことというのは、あまりよくわからないものだ。人に言われて初めて「これがこだわりなのか」と知ったり「だから苦しかったのか!」と、わかったりすることもある。

そこでこの記事では、わたしのこだわり行動やその原因を一例としてまとめてみる。

ASDのこだわりとは何か?当事者の感覚

ASDのこだわりとは「当店は豆にこだわっております」というようなこだわりとは少し違う。もう少し詳細にいえば「特定のものごとに過剰に執着する」という感じではないだろうか。

こだわりは、適度であれば「特別な思い入れを持って行動する」というようなニュアンスになる。「こだわりの食器」「結果よりも過程にこだわる」とか、そういう風に使われる場合は「プラスなもの」として捉えることができる。

でも、ASDのこだわりはときに「執着」や「捉われ」になってしまうこともあるため、人間関係でトラブルが起こったり自分自身の生活の中で不都合や困難が生じることもある

HSPとASDの決定的な違いとして、こだわりの強さ(強迫的か、そうでないかなど)が挙げられていることもある。

ASDのこだわりが長所や武器になってメリットをもたらすこともある。しかし、それが過剰になったり、こだわりが守られないことによって感情が乱れてしまうと、さまざまなデメリットに発展してしまうのだと思う。

たとえば……わたしのこだわり行動の一例

わたしの場合どんなことに過剰にこだわっているだろうか?具体的にはこんな感じになっている。

1.物の置き場所

日常生活の中では「置き場所」へのこだわりが強い。日常的によく使う物の置き場所はできるだけ自分で決めておきたくて、それが常に定位置に戻っていないとイライラする。

ちなみに、わたしは整理整頓はうまくない。ADHDもあるので書類やこまごました生活雑貨がごちゃごちゃしがち。引き出しの中はけっこう乱雑。

整理整頓されているわけではないのに、物の定位置は決まっている。自分の頭の中だけで。

「テーブルのこのあたり」「醤油とみりんと酒の順番はこう」「これをこの引き出しに入れるのはダメ」というような、自分にしかわからないこだわり。ほとんど無意識で決めている自分ルールなのだが、それを家族がいじるとイライラして怒りが湧いてしまうから厄介だ

「なぜその定位置でなければならないのか?」が説明できないので、余計にイラだってしまう。自分なりの置き場所ルールがあることに問題があるのではない、それを乱されることで感情的になってしまうところがネックである。部屋の中のものが常に定位置に戻った状態を維持するのに、毎日大半の時間を使ってしまう

2.ルーティーンへのこだわり

わたしは、毎日決まった手順で家事や仕事を進めないと怒りが湧いてしまう。他人によって自分の計画やイメージが崩されてしまうとパニックになるのだ。

我が家は子どもが学校に行かない日など、ルーティーンが突然変更になることが多い。最初、わたしがルーティーンへのこだわりがあることを自覚していなかったので、とても困惑した。

わたしは息子が学校を休むということを許容しているはずなのに、なぜか怒りが湧いてしまう。「学校に行けない日があってもいい」「そんなの当たり前」という考えをもっているのに、朝、怒りが湧いてしまう。自分が何にイラだっているのかわからない。おそらくわたしは、ルーティーンの変更に混乱して不安になっていたのだった。

食事の準備をしているときも同じようなことが起こる。食卓にすべての料理がそろっていないのに、家族が食べ始めてしまうと激しいパニックになることがよくあるのだ。

「先に食べるなんてずるい」とか、そういう理由ではない。自分の中に「食卓の完成形」があって、食事を始める手順やイメージが他人によって崩されることに耐えられないのだ。(食事に対してのこだわりと執着がもともと強いせいもある)

もしこのように、こだわりが守られないことで怒りが湧いたときは、ひとりになって手のひらでグッと目頭を押さえ、1~2分だけ涙を流す。そうすると、気持ちが鎮まって普段どおりの自分に戻れるようになった。

3.出かける先・交通手段・道順は同じ

わたしは、ひとりで行動するときはほとんど決まった場所にしか出かけない。カフェ、書店や図書館、スーパー、リサイクルのゴミステーションくらいしか出かけない。

行先の順番、交通手段、帰りに寄るスーパーなどはすべて決まっている。それでも「出かける」と決意するまでにものすごく時間がかかったり、勇気が必要だったりする

特別に欲しいものがあるときや、どうしても行きたいイベントなどには、出かけて行くこともある。でも、基本的に誰かを誘うという選択肢がないので、かなり勇気を出して何度も脳内で趣味レーションしてから出かけるようにしている。

子ども頃からそうだった。母が「どっちの道で帰るか」を私に決めさせてくれていたこともあった。スキー教室やプールなど、行先が大幅に変わるイベントはよく欠席していた。

4.時間へのこだわり

わたしは時間へのこだわりが強い。何時に出る・何時に来る・何時何分に……という細かいことを家族に詰めてしまうことがあって、相手に負担をかけてしまうこともある。

時間の概念が掴みにくいので、何分単位で確認しないと不安なのだ。たとえば、30分もあれば済ませられる用事に2時間見積もってしまったりすることがある。おそらく、不安が強いので「たくさんの時間を確保したい」「余裕をもって行動したい」という気持ちから、常に時間を確認してしまうのかもしれない。

時間やルーティンに関しては、同じ質問を繰り返しして、同じ回答を求めることもする。覚えられないから何度も聞くこともあるし、わかっているのに何度も確認することもある。家族は、ちょっとめんどくさいと思っているだろう。

5.好きなDVDを繰り返し見ること

お気に入りのDVDや番組を繰り返し見ることがある。とくにストレスが溜まったときは繰り返し見る。とくに、ストーリー仕立てのコントライブのDVDを見るのが好きだ。セリフをほとんど一語一句覚えるくらいに繰り返し見る。好きな作品に使われている音楽も繰り返し聞く。

もちろんおもしろいから好きなのだが、笑うために見ているわけではない。安心するために見ている。「お風呂に入る」とか「歯を磨く」のと同じような感じ。リラックスや気持ちの切り替えのために、これを見ると決めている。ちなみにわたしの母も同じドラマを繰り返し見て、セリフをすべて暗記している。

このこだわりに弊害はないのだけど、周りからは同じものばかり見ているのが不自然に感じられたり、もっといろいろなものに触れればいいのに……と心配されたりすることはある。

6.身に付けるものへのこだわり

わたしは感覚過敏はそれほどひどくないが、足に触れるものだけは許容できないものが多い。基本的に靴下やタイツはとても不快。スリッパや靴底の感覚も、気に入るものしか受け入れられない。

風呂の足ふきマットや、ベッドシーツなども、特定のものしか使えない。足の裏に砂やゴミが触れると、ギャーッと叫んでしまう。家族にはうるさがられているだろう。

締め付ける洋服や硬い素材の服も苦手、ボタンのついたパジャマも苦手だ。

こだわりは「感情」と「行動」に影響するかどうかを見る

前半でも触れたように、こだわりは決して悪いものではないし、むしろプラスになることが多い。しかし、ASDの場合はこだわりすぎることや、こだわりを妨害されることで感情が乱れたり、行動が制限されたりすることがネックになりやすいと思う。

たとえば、わたしのように家事や仕事のルーティーンが決まっていることは何も悪いことではない。「仕事ができる男のこだわりルーティーン」とかっていうのもあるだろう。

しかし、ASDでなければそのルーティーンが崩されても、決して泣いたり怒ったりはしないはずである。ASDのつらさは、臨機応変に対応したい気持ちがあるにも関わらずそれができない、ということ。

自分の意思ではどうにもできない感情が襲ってきて、理想とは違った反応や行動をとってしまうということではないだろうか。

自分のこだわりを自覚し、儀式を取り入れると楽になる

わたしは、ひとつひとつのこだわりを自覚し、感情的になったときに自分を静めるコツを少しずつつかんできた。

そこで大事になってくるのが、常同行動や自己刺激行動と呼ばれるものではないだろうか。たとえば、わたしがやっている目頭をぐっと抑えて少しの間だけ泣く、というのは儀式を通じて段階的にこだわりを弱くしていく過程なのだと思っている。

自分が落ち着く行動、自分だけの儀式を持つことによって、見通しや段取りを再構築する時間を与えてあげるような感じ。このような常同行動や自己刺激行動は、ときどき「変な行動」として見られることもあると思う。でも、ASDにとってそれは変な行動でもなんでもない、自然な行動なのだと思う。

わたしはこの「変な行動をする自分」にかなりのコンプレックスを抱いてきた。昔から、泣きながら前後に揺れたり、太腿を繰り返し強くこすったり、激しいパニックを起こしたりする自分が恥ずかしかったのだ。

でも、ASD特有の脳をもっている人は同じような傾向があったり、似たような行動をすると知ってとても驚いたし、安心した。

対応策は「自分を落ち着ける方法」の発見

こだわりはそもそも悪いものではない。自分がわけもわからず取り乱したりするときには、もしかするとこだわりが守られていないことによって動揺したり、混乱している可能性があるのではないか。自分のイメージしていた「こだわり」と、実際の行動や状況には乖離があると思う

こだわりが守られないことによる感情の揺れは、並ではない。不満に感じるとか、文句を言うとか、そういうレベルではない。まるで目の前に土砂崩れが迫ってくるような感覚だ。

感情が揺れすぎて心臓や喉が圧迫されるのはつらいのだけど、その瞬間をちょっと耐えて乗り越えることができれば、前よりも少しは臨機応変に動けるようになったのだ。

最近はだんだんと本当の自分が浮き彫りになってきて、過ごしやすくなった。儀式的行動をしてもいいし、そもそも変な行動をするのが自分なのだと受け入れられるようになった。

そのためにはまず、自分のこだわりを知ること、プラスのこだわりと障害となってしまっているこだわりを分類することも大事かもしれない。そのあとで、自分で自分を落ち着ける行動をみつけていくこと。この一連のフローが、ASDのこだわりやパニックを軽減させてくれる気がしている。

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