わたしは最初、自分の敏感さや生きづらさの原因をHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)に当てはめていた。今でも確かにHSPといえばそうなのかもしれない。
HSPとは刺激に敏感で繊細な気質のことをいう。「気質」であって、障害や病気ではなく医学用語として認められたものでもない。
HSPと、ASDはとても似ていて共通する部分も多くある。わたし自身「自分はHSPなのか?それとも発達障害なのか?」という部分で長い期間悩んだ。白黒はっきりつけたい性格なので、自分をしっかり分類したくてしかたがないのだ。
しかしきっと、わたしと同じように「自分はHSPなの?」「ASDなの?」というところで迷ってしまう人は少なくないと思う。
そこでこの記事では、わたし自身がASDとHSPを見分けるポイントとなった情報と考え方をまとめた。同じように自分の分類迷子になっている人の役に立てばいいなと思っている。
ASDとHSPの違いを判断するポイント3つ
ASDとHSPの違いを判断するのに、わたしの場合次の3つのポイントが非常に役に立った。
1.HSPは「心理学用語」ASDは「精神医学用語」
そもそもHSPとASDは、分野が違う。HSPは心理学用語で、ASDは精神医学用語、発達障害として診断がつけられるものである。
HSPは結局「自分の捉え方」でしかないが、ASDは社会的に「困難がある」ということを認められる可能性が高くなる。この違いは大きいと思う。
わたしの場合、HSPは医学用語ではないし、自分が自分を受け入れるために必要な考え方のひとつ、ということを一時的には理解した。
でも、どこか納得できない部分が残った。自分が自分を受け入れても、周囲とのコミュニケーションがうまく取れないことや、他人に迷惑をかけることから避けられなかったからだ。つまり、HSPという概念では説明できないことが多かったのだ。
一方、ASDには「今まで、自分はおかしいと思っていたこと、気が狂っているのではないか」と思っていたようなことさえもすべて説明がつく。それどころか、親子関係や夫婦関係のもつれ、自分の母親の不可解な行動の理由も、すべて納得できる道筋を描くことができた。「納得感が違う」という少し感覚的な部分もある。
2.ASDには「知的能力の凹凸」がある(発達障害)
ASDとHSPの大きな違いとして「知的能力の凹凸」、つまり発達のアンバランスがあるかどうか、という点である。
わたしの場合、医師の診断は受けていないが、知能検査(WAIS‐Ⅲ)と心理検査を受けている。検査の結果、心理士からのレポートにはこのような内容が記載されていた。
“4つの側面(言語理解・知覚統合・作動記憶・処理速度)の結果のバラつきが非常に大きく、能力の得意不得意のアンバランスがあることが予想される結果です”
区分 | 結果 |
言語理解 | 平均値の範囲内 |
知覚統合 | 境界域(低い)~平均の下 |
作動記憶 | 非常に低い~平均の下 |
処理速度 | 平均の下~平均 |
上の結果は、わたしのWAIS‐Ⅲの結果である。とくに作動記憶が弱く、言語理解との差が大きく開いている。ASDとADHDの併発タイプだ。
当時小学生だった息子もWISK‐Ⅲを受けたのだが、わたしの知的能力は息子と比較してもかなり低い結果になった。
3.ロールシャッハテストの結果
ロールシャッハテストの結果も、HSPとASDを区分するきっかけになった。ロールシャッハテストとは、インクを垂らした紙を半分に折ってできた模様を見て、何が見えるかを答える心理検査だ。その結果「情緒的な関わり、人の気持ちを読み取ることの苦手さがとくに強く表れている」ということだった。
HSPは「人の気持ちがわかりすぎて疲れる」というのが定説なように思う。でも、わたしにはその傾向がなかったのだ。
たとえば、泣いている人を見るともらい泣きしてしまうとか、テレビで悲惨なニュースが流れると一緒に落ち込んでしまうとか。わたしは、そういうことがなかった。むしろ、みんなが悲しんでいると、悲しんでいない自分が浮いていることがわかるので、一生懸命悲しい気持ちになろうと努力するタイプだ。みんなの気持ちにならなきゃ!ならなきゃ!とするために「自分は人の気持ちがわかる」と錯覚している部分もあった。(これは過剰適応にあたると思う)
ニュースで悲しい事件を報道していても、遠く離れた場所で起こった出来事に感情移入することができない。テレビの感動話で泣いたりすることもない。
もちろん、感極まって泣くことはある。でも、それがいつもどこか人とズレていて「え?何で泣くの?」という反応をされ、周囲を困惑させるだけだった。
HSPにあてはまるところはあったけれど、その部分が決定的に違った。
4.こだわりの有無や強さ
最後にHSPとASDを分類する大きな特徴として「こだわり」が挙げられる。精神科医の岡田尊司による発達障害グレーゾーンの著書にはこう記されている。
ASDでは、感覚過敏とともに強いこだわり症状が見られ、さらに社会的コミュニケーション障害もともなっている。それに対して、一般的にHSPと呼ばれる状態では、感覚過敏はあるものの、それ以外のこだわり症状があまり目立たず、また社会的コミュニケーション障害も見られないどころか、むしろ過剰発達しているという点が大きく異なっている。
発達障害グレーゾーン/岡田尊司
こだわりの有無やその強さはひとつの目安になるのではないか。ASDはこだわりの強さによって日常生活に困難が生じたり、人とのコミュニケーションにトラブルが起こることもあるので、この点は大変参考になったと思う。
ASDとHSPのどちらが自分にしっくりくるか
基本的に、ASDもHSPも自己受容のために必要なものだ。とくに大人になってからASDが発覚する人は、今更診断名がつくことで何かが変わるわけではない、ということもある。自分を発達障害とすることに、抵抗を感じることもあるかもしれない。
でも、自分がなぜかうまく生きられなかった理由は、発達障害という社会的な障害のせいだったんだということがわかれば、ホッとする。自分はいつも人より劣っていて、努力が足りないのだと思っていた得体の知れない重荷を下すことができる。
だったら「ASDとHSPのどちらを自分のアイデンティティに加えたいか」もしくは「両方加えればいいのではないか」という風にも考えられると思う。
わたしはずっとHSPにしっくりこない部分、納得しきれない部分が残っていて「女性のアスペルガー(しかも受動型)」があることを知って、まさしくこっちを自分のアイデンティティに加えたいと思ったのだ。
ただ、わたしはADHDの要素も強いので、知的能力の凹凸からくる自尊心の低さや、劣等感は否めない。そのことについても今後また書いていくつもりだ。
自己受容は、自分がしっくりくる方法・考え方を使えばよいのではないだろうか
もしもHSPとASDの違いに迷っている人がいたら、やはり能力検査や心理検査を視野に入れてみてもいいと思う。精神医学と心理学では詰めるところが違うし、納得感が異なる。
とくにアスピーは医師の診断も下りにくいので、他人に判断をゆだねると永遠に自己受容できない可能性が高いと思う。自分がしっくりくる考え方を使えばよいのだと、今わたしはそう思っている。
コメント